Ryo〜call you, again〜

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 夏の夜明けは早い。久しぶりに研究所の外に出た涼を待っていたのは、雨上がりの空と、照りつける日差しだった。今まさに気化していく地表の水が、容赦なく湿度を上昇させる。熱気は体にまとわりつくようで、
「暑い……」
涼にはとても耐えられるものではなかった。
 しばらく運転していない車のエンジンをかけ、即座に冷房を入れる。もちろん設定は最低温度。快適になった車内で涼は、
「今頃あの人、悔しがっているだろうな」
心底どうでも良さそうに呟いた。


「……で、この騒ぎ、ってわけか。それにしても、もう少し早く見舞いに来てくれても良いんじゃねえの?俺が刺されてから、もう5日も経ったんだぞ」
 首に巻かれた包帯が痛々しいが、流の意識ははっきりしていた。病室を訪問した涼は、ここ数日の出来事を語り終えた。
「私だってすぐに行きたかったさ。でも、片付けなければならないことが多すぎて……」
「分かってるよ。冗談だ」
 流はおもむろに病室のテレビの電源を入れる。画面越しの人物は、神妙な面持ちで原稿を読み上げていた。
「ニュースで言ってたこと、本当だったんだな……」
流はテレビを観たまま言った。涼は言葉を返さず、静かに首肯した。
『ついに感染症のワクチンが開発され――』
『水無月氏は文部科学大臣を辞任、海外へその拠点を移すと公式発表しており――』
『噂ではありますが、ついに情報{データ}の開発に成功したらしいですね』
『先程、感染症は国立情報研究所での実験中の事故が原因だという知らせが入ってきました』
言葉を交わさない兄弟の代わりに喋り続けるのは、テレビの中の人物。競うように、様々な話題を報じている。
「これで一応は一安心、ってわけだな」
 窓の外に目をやると、近所の公園が見える。暑さを物ともせず元気に走り回る子供たち。それを見ながら、木陰で談笑する大人たち。いつも通りの生活を楽しむ人々の姿が、そこにはあった。目を細めてそれを見る流の様子が、何故だか少し、いつもと違うような気がした。
「流……?」
「――兄貴には酷かもしれないけど」
テレビの電源を切り、流が口を開く。
「俺の命、もう長くはないみたいだ」
「え……」
 予想だにしなかった告白。背後からいきなり殴られたような衝撃が、涼を襲った。
「アイツに刺された時に、傷口から細菌に感染したらしい。今は大丈夫でも、いずれ体内が完全に侵食されるそうだ。治療法は、ない」
「細菌……?」
「兄貴の開発したウイルスとは違うから安心しろ。推測に過ぎないが、凶器に使われた包丁に毒でも塗ってあったんだろ。……親父のやりそうなことだ」
 吐き捨てるように言う流は、確かに少し顔色が悪かった。それでも気丈に振舞おうとする姿は、雪子に通じるものがあった。
「医者が言うには、あと一年生きられるかどうからしい。……だから兄貴に、頼みたいことがあるんだ」
 目の前がくらくらする。途切れそうな意識を必死に保ち、
「私に出来ることなら」
涼は顔を上げた。兄と視線が合い、流は表情を和らげた。
「兄貴が開発した情報{データ}を、俺に似せてくれ。見た目と、出来れば性格も」
 予想外の要求に、涼は困惑した。そんな兄の反応に苦笑して、
「俺までいなくなったら、誰が兄貴の世話をするんだよ」
流は涼の肩に手を置いた。涼は少しためらった後、肩に置かれたその手をとった。
「……分かったよ。桃太郎は、君に似せて育てよう」
 涼は約束した。たった一人の弟の願いを叶える為に。自分自身の、幸せの為に。

 *        *              *              *        *

「おい、涼。何一人でしんみりしてんだよ」
 桃太郎を流に似せたことを、私は後悔していない。兄弟のように、気楽に付き合える相手が出来たから。
 いつもの研究室。あの時と変わったことといえば、他の研究員たちがいないことと、桃太郎がいること。それと、君と話せなくなってしまったこと。
「少し、昔のことを思い出していたんだよ」
 桃太郎が成長するにつれて、君のプログラムは情報世界と同化していった。「雪子」という人格は、もうどこを探しても見つからない。だけど。
「君達が立派に成長してくれて、私は嬉しいよ」
「おい、涼……どこかで頭でも打ったのか?」
 ばたばたと、足音が近づいてくる。これは涼子の音だ。
「お父さーん、掃除終わったわよー!」
実を言うと、涼子はどこか君に似た面影があるんだよ。君よりは、かなりおてんばだけどね。
「うっせーなー涼子!廊下は走るな」
「何よ!ここは学校じゃないんだから良いでしょ!」
言い争う二人を見ていると、あの時の選択は間違っていなかったと思えてくる。君もそう思っているんだろう?
 口論が収まったのか、涼子は私に向き直って言う。
「そう言えば、今日の夕飯はホワイトシチュー作ってみたの。お父さん、確か好きだったでしょ?竹田にレシピ教えてもらったから、前よりは上手くできたと思う」
「――!……有難う、楽しみにしているよ」
「お前料理できたのかよ!ってか、俺の前で食い物の話するな。羨ましくなるだろ」
「何よ、失礼ね!そんなことよりお父さん、あの写真に写っていた女の人、一体誰なの?」
「その内話してあげるよ。今は……そうだね、君の母親になっていたかもしれない人、とでも言っておこうか」
「え?お父さん彼女いたの?」
「失礼な」
「涼に付き合わされたなんて、そいつも可哀相だな」
「そうかい?」
「きっと私に似て美人だったのよね」
「はあ?誰が美人だって?」
「うるさいわね!アンタはもっと女の子に気を遣いなさい!」
「あーはいはい」
 あの世界からこの子たちが帰ってきてから、私の周りはとても賑やかになった。君と流と過ごした時間は、もう二度と戻ってはこないけれど。それでも、今の私は、とても幸せなんだ。
 この日々がいつまでも続かないのは分かっている。あの時みたいに、いつかは脆く崩れ去ってしまうだろう。それでも今は。今だけは、この子たちとの時間を大切にしたいんだ。
 彼らは間違いなく、君と私の子ども達だから。
 ――そうだろう、雪子?


 Ryo〜call you, again〜 End.