霜月の風は暖かく

「後」


「……今日の貴女は、とても無理をしていらっしゃる」
 沈黙に耐えかねて、神主が口を開いた。返事はない。
「私には、ここしばらく、貴女が塞ぎ込んでいるように見えました」
土地神は、びくっと身体を強張らせた。
「理由をお聞かせ願えますか」
「ぬ、主の思い違いだ」
「私に嘘を吐かないで下さい」
 先程までとは違う、真剣な声音だった。土地神は思わず神主を見る。
「貴女のことですから、きっとまた、身の丈に合わない責を抱えているのでしょう?」
神主は笑顔だった。全てを受け入れてくれそうな、いつも通りの表情。
 土地神は観念して、ふわりと神主の横に降りた。そして自分よりも背の高い神主を見上げて言う。
「主らは、我を恨んでいるはずだ」
 黒く、それでいて澄んだ瞳に見つめられ、神主はしゃがみこんだ。父親が、子どもの目線に合わせるように。
「きっとそんなことだろうと思いましたよ。あれは貴女の所為ではないと、何度も言ったでしょう」
「――っ!この村の被害は、全て我の所為だ!」
 落ち着いた神主の態度と反比例するかのように、土地神は感情をあらわにした。
「我に力がなかったから、山崩れが防げなかった!我に力がなかったから、村が揺れた!我に力があれば、あのような犠牲を出さずに済んだ!全て、主らを守れなかった我の所為だ……!」
 両の目から大粒の涙を溢れさせて、土地神は自分を責めた。仕舞いには言葉すら紡げなくなって、神主の胸の中で泣いた。神主は静かな表情で、優しく土地神の頭を撫でた。
「本当に馬鹿ですね、貴女は。土地神にも、人間にも、出来る事と出来ない事がありますよ」
「それでも、我は、主らを守りたかった……」
 しゃくりあげて抗議する土地神の肩に手を置いて、
「貴女だけに責を負わせるほど、人間は弱くはありませんよ」
神主はそう断言した。
「あれを見て下さい」
「む……?」
 神主は、境内の子供達を示した。
「素敵な晴れ着姿でしょう?」
「……そうだな」
「あの晴れ着、全て頂き物なんですよ。被災された方が七五三を祝えるようにと、ボランティアの皆様が集めて下さいました」
 紺色の袴に身を包んだ男の子。鶴の絵柄が赤の布地に映える振袖を着た女の子。煌びやかに、艶やかに着飾っているが、それ以上に人の想いが伝わってくる着物だった。
「見ず知らずの方が、あんなに立派な物を、惜しみなく分け与えて下さったんです」
 ふと目が合った女の子に、神主は小さく手を振った。女の子は千歳飴を片手に、大きく手を振る。晴れ着の袖が小さな風を起こし、髪を揺らした。
「主らは――人間は、強いな」
恐らく見えていないであろう相手に、土地神も微かに手を振り返す。
「ええ。だからこそ、あきらめないんです」
 神主は、土地神を肩に乗せて立ち上がる。突然上昇した視界に、土地神は一瞬たじろいだ。
「この村も、人も、皆、貴女とともに生きてきました。そして、これからも」
 目下に広がる大地。その上に建つ家々。そこに住む人々。懸命に生きる生命の姿が感じられた。
 その全てを司っている土地神は、浮かない表情が拭えなかった。伝わってくる雰囲気で理解したのだろう、神主が再び口を開こうとした時だった。
 靴よりも硬めの足音が近づいてきた。
 千歳飴を巫女から受け取った男の子が、神主の方に駆け寄ってくる音だった。
「これ、おねえちゃんに」
男の子は、薄桃色の一本を差し出した。神主の肩に乗っている土地神に向けて、懸命に手を伸ばして。
「いつも、まもってくれてありがとう!」
「ぬ、主は……我のことが、見えるのか……?」
 小さな手に握られた千歳飴。神主がかがむと、ほんの少し大きな手が、それを受け取った。傍から見れば、千歳飴が消えたように見えたことだろう。
「ばいばい、おねえちゃん!またこんどね!」
男の子はそう言うと、母親らしき女性の方に駆け寄っていった。突然どうしたの、と女性が聞く声。ないしょー、と嬉しそうに答える男の子。二人が坂を下るまで、土地神はずっと手を振っていた。
 その姿が完全に見えなくなって、土地神は呟いた。
「我はまだ、主らといても良いのか……?」
「当たり前です」
 神主は、土地神の額に軽くデコピンをした。
「こら」
土地神は少し赤くなった箇所に手をやって、少しムッとした素振りをした。しかしその声は、安堵に満ちていた。
 びゅう、と一際強い風が落ち葉を舞い上げる。向かい風だったが、不快ではなかった。
「……主らがいるからな」
優しく、暖かく、包み込んでくれる存在がいる。いつの時代にも。誰の周りにも。
「何か言いましたか?」
葉の擦れる音で、神主には聞こえなかったらしい。さぞかし間抜けな表情をしているだろうと、神主の顔を覗き込む。
「主には内緒だ」
 土地神は笑みを浮かべ、手の中の飴に目をやる。そして、きょとんとしている神主と見比べた。
「やはり子どもは良いものだな。……何度見ても飽きぬ」
「今度は子ども扱いですか」
わざとらしく、神主が肩をすくめた。その様子がおかしかったのか、土地神は、ぷっと吹き出した。
「我に比べれば、主もあの子どもも同じようなものだ」
「背丈は大分違うと思いますけど?」
「ふふ、負け惜しみだな」
あまりにも楽しそうに笑う土地神につられ、神主も微笑んだ。
 貴女のその表情が見たかったんです、という台詞は、心の中にしまっておいた。

 * * *

 霜月の風は、冬の香りがする。
 遥か遠くに涙を吹き飛ばすように、視界にかかったもやをかき消すように、風は吹く。前に進もうとする背中を押す為に。
 我はやはり、そんな風が好きだ。
 ――ああ。しかし本当は。
 その風と同じように生きる、人間達が大好きだ。
 だから我は、主らと共にあろう。
 暖かな風のような、主らと。

(初出し:「小説家になろう」2012.1.18掲載)