桃太郎

終章「いつか、それはきっと」


 気がつくと、俺はそこにいた。
 周りには何もない、俺だけがいる世界。
 生まれたての赤子のように何も分からず、感覚だけがある自分。
 分かるのは、“殺したい”という欲求と、“殺したくない”という願い。
 時だけが、やけにゆっくりと流れた。

 *        *              *              *        *

 「だーかーらー、それは私のだって言ってるでしょっ?」
「焼肉は食べた者勝ちだと、前から言ってるだろう、涼子」
「姉者の言う通りだ。焼肉は、弱肉強食だ」
「私の…肉……」
「まあまあ、涼子さん、竹田君がまた焼いてくれますから」
「オレはさっきから焼く係押し付けられて一枚も肉食えてないんだが」
「そんなこと言ってないでさっさと焼きなさいよ!涼子たちがたくさん食べるから、私のところまでお肉が回ってこないじゃない!」
「君達私のこと忘れてない?さっきから野菜しか回ってこないんだけど」
「…私の、肉……」
 家がありました。ログハウスのような、暖かそうな家です。家の中にはいくつか部屋がありますが、どの部屋にも、大きなモニターが取り付けられていました。
 その中の一室から、肉を焼く香ばしい匂いが漂ってきます。その部屋には、一人の人間と六人の子供達、そしてモニターには、一人の少年の姿がありました。
 「思うんだけど、涼子って取り合いしてるからいつも食べ損ねるのよ」
「うっ!」
「そうだな。私がコツを教えてやろう。焼肉というのは、如何に相手の隙をつけるかが勝敗を分ける」
「戦術の基本だ」
「戦術って、お前らなあ……」
「いーよなーお前らは美味いもんたらふく食えてよー見てるだけの俺の身にもなれ!」

*        *              *              *        *

 俺に仲間が出来たのは、何時の頃からだろう。
 ――そうだった。涼がこのゲームを創ってからだ。クリアできずに眠りについたやつらを、初めて起こした時。
 初めて情報{データ}を、殺さなかった時。
 だがそれも、所詮は夢物語に過ぎなかった。

 『そう。このゲームは、もう必要ない』

 アイツのその言葉と共にゲームは消え、仲間も消えた。林も、鈴音も、あの世界にいたやつらはみんな。
 “殺したくない”――。
 俺が一番望んだことだった。ゲームが無ければ、もう殺さなくて済むから。
 それでも失ったモノはあまりに大きすぎた。
 涼子たちといるのは確かに楽しい。だがその度に、アイツらが一緒だったらもっと楽しいのに、と、そんな女々しい事を思ってしまう。

 そういえばいつも、何かを教えてくれたのは涼だった。
 この世界のことや、俺の片割れのこと。そして何より、人間のこと。
 人間は、馬鹿だと思った。
 だってそうだろう?自分達の理想を追い求めるあまりに、その身を滅ぼすことになった、馬鹿でどうしようもないイキモノ――。
 でも、人間は好きだ。
 今という瞬間を、幸せに生きようと努力をするから。
 俺達情報{データ}には、そういう生き方は出来ないのだろうか。

*        *              *              *        *

 「ところで――」
 涼は子供達を見て問いました。
 何故、昔の名前を名乗ろうとしないのか。何故、ゲームが終わった今も、こうして離れず一緒にいるのか、と――。
 すると子供達は、顔を見合わせて言いました。
 過去にいつまでも囚われているよりも、今を幸せに生きるほうが大切だから、と。

*        *              *              *        *

 ――人間って、不思議なイキモノだな。
 そういえば前に、涼にそんなことを聞いたっけ。
 涼は、笑顔でこう答えた。
 ――ああ、そうだろう?目先の幸せばかり考えて、後に何が起こるのかなんて気にしない。とても愚かで、どうしようもないイキモノだ。それでも、今という掛け替えの無い時間を幸せに生きようとする、掛け替えのない命だ。
 ――俺にも……情報{データ}にも、そういう生き方が出来るかな……?
 そんなこと、到底無理だと思っていた。俺はアイツの影で、情報だから。光の無い俺には、幸せなんて分からないから。
 ――出来るよ。そういう意思があれば。それに、影も光も、本当にどちらかしかないイキモノなんて、この世には存在しない。君もあの子も、少しずつだけど、“心”が育ってきているよ。もしかしたら、いつか君達もお互いの“片割れ”でなくなるかもしれない。

*        *              *              *        *

 「あ、そういえば涼子!あの約束、まだ果たしてくれてないじゃない!」
「はふほふ?」
口いっぱいに肉を詰め込みながら、涼子は首を傾げました。しばらく口をもごもごさせて考え、
「――ああ、あの島でした約束?」
肉を嚥下して答えました。
「そうですよ!無事に帰れたら歌ってくれるって言いましたよね?」
「でも、結局林の村には帰れなかったし……」
涼子が切なそうに笑うのを見て、
「……分からない」
 そう言った桃太郎に、皆の視線が集まりました。
「分からないんだよ。今まではどんな時でもお前が何を考えているのか、手に取るように分かっていたのに……。今、涼子が何を考えているのか、分からないんだ」
納得のいかない桃太郎に、涼は優しく声をかけました。
「“片割れ”は卒業みたいだね、桃太郎」
「お父さん、どういうこと?」
元片割れは、事情も分からず首を傾げました。

*        *              *              *        *

 多分、嬉しかったんだと思う。
 俺が影だけの存在じゃなくなったことが。
 可能性を与えられたみたいで。
 涼子はそんな俺を見ると、唄い出した。
 まるで雲一つない、澄み渡った青空のような声だった。
 それにつられるように、俺も唄う。
 夜空に浮かんだ、小さな星のように。

*        *              *              *        *

 二人の歌声は、風に乗って何処までも届いていきます。
 その声は、多くの人々を救うことになるでしょう。
 あの世界で、多くの人を救ったように。
 その願いは、多くの人々が持つことになるでしょう。
 “幸せ”という名の、旋律に乗せて。


 ♪
 今はただ、現実{イマ}を生きることを考えて
 手探りでも良い、生きていこう
 生きている限り、幸せを求められるのだから――

 END.