暗い室内に、モニターがやけに明るく灯る。闇を透かす窓から差し込む光は無い。
椅子に腰掛ける音が聞こえる。
部屋からは、二人分の話し声が聞こえた。
一人は研究者。もう一人は――そもそもヒトと呼ぶのかさえ分からないが――モニターに映し出された人物。その表情は、どこか悲しげだった。
「……涼」
涼と呼ばれた研究者はハッと顔を上げた。
「ああ、桃太郎。――君か」
桃太郎と呼ばれたモニターの中の人物は、心配そうに涼を見下ろした。
「大丈夫か、お前」
「何が?」
「――っ!何がじゃねえよ!また拾ってきたんだろう?そいつも、この世界の餌食にするつもりかよ!今まで何人犠牲になったと――」
「………」
「この世界、そこまでして創り上げる価値のあるものなのか?何の為に、お前はそこまで――」
涼は長く息を吐きながら、椅子の背にもたれかかった。
沈黙の時間が流れる。
「……私だって」
涼はやがて、その重い口を開いた。落ち着いてはいるが、何処か熱のこもった声だった。
「私だって、あんなに多くの犠牲を払うとは思っていなかったよ。むしろ、そんな事は願わなかった。――でも、必要なんだ」
「何の為に?」
涼はしっかりと、その問いに答えた。
「失ってしまった、命のためにも」
「フン……。そんな事、俺にだって分かってる。何せ、俺はお前の弟をもとに生まれたんだからな」
涼は何も言わず、ただモニターを見つめていた。
「お前の弟、情報{データ}に殺されたんだろ?」
「……そうだよ」
涼は静かに、言葉を紡いだ。
「私の弟は、最初に情報に殺された人間だった」
桃太郎は顔をしかめたが、すぐさま涼を問いただした。
「だがお前は、写し身である俺が“意志”とやらを持って、それで本当に満足なのか?」
「…………」
「俺は認めねえ。情報が感情を持ったところで、人になんかなれるはずがない!どれだけ想いを寄せたって、どれだけ技術が進歩したって、情報は結局情報でしかない。例え実体化しても、それは変わらない。それが現実だ。だからお前もいい加減に――」
「分かっているよ。“現実を見つめて生きろ”だろう?今ので丁度十回目だよ」
涼はそう言うと、窓を開けようと立ち上がった。ヒュウ、と、外からの冷たい空気が涼の頬をなでた。涼は苦笑して、
「……やっぱり寒いな」
一言呟いた。
「話をそらすな」
「分かってるよ」
涼は窓を閉めると、再び椅子に座った。
「……でも」
その言葉に、涼は反射的に桃太郎を見つめた。
「こんな寒い日に、血まみれで倒れていたんだよな、アイツは」
「……ああ。大方、隣国の軍人だろう。服がそうだった。それに今日は――あちこち騒がしかったみたいだから」
「またテロか。祭りが台無しだったって、この前施設で新入りが言っていた」
「知っている」
「じゃあわざわざ言わせるな」
涼は桃太郎から目をそらすと、部屋の入り口を見た。
「あの子はまだ、幼かった」
「何を今更」
「それなのに軍に入って、戦場で戦って、人を殺めて――挙句、この国に捨てられた」
「捨てられた……?」
桃太郎は、目を見開いた。
「この国は、君も知っての通り、海に浮かんだ島国だ。船や航空機でしか出入りは出来ない。だが、彼女達を乗せた船は、数日前、補給を済ませて出航した」
「その船は、もう戻ってこないのか?」
「そうだよ。あの国とは、条約を結んでいるから」
「条約?」
涼は困り顔の桃太郎を見て、楽しそうな口調で言った。しかしその表情は、その目は、決して笑ってはいなかった。
「この国はね、近隣の国と、ある条約を結んだんだ。
お互いに、必要の無いものを殺しあう条約を、ね」
「――何でそんな条約を結ぶ必要がある」
怒りを抑えて言う桃太郎に、
「要らないモノ――私達は“失敗作”と呼んでいるが――それを処分する為だ」
「訳分かんねえ」
「……君には、この国の歴史について、少し話さないといけないね」
* * * * *
この国はかつて、科学技術がとても発達している先進国だった。隣国との貿易も栄えていたし、国としての関係も、それなりに上手くいっていた。――今じゃ考えられないだろう?
しかしその関係が、思わぬ悲劇を招いた。
私達の国は、その高度な技術を用いて、ある研究を行った。情報{データ}に感情や意志を持たせ、人間同様の能力を備える研究だよ。その結果、桃太郎、君が創られた。
問題は、その過程で生まれてしまった失敗作だった。
その失敗作が、“実体化してしまった情報”だ。
失敗作は人間と同じように子を産み、隣国にも移り住むようになった。情報といえども、実体を持っている存在だ。研究に関わった者でさえ、人間との判別は難しかった。
その為情報は、まるで疫病が広まるみたいに、人間の世界に馴染んでいった。
当時の隣国との関係では、移住はさほど難しい事ではなかった。その所為で、研究は世界中に知られることとなり、秘密裏に行われていたこの研究を公表せざるを得なくなった。
隣国の代表6人が集って行われた会議では、情報が人間に危害を加えないのなら、心配する必要はないとされた。
そんな矢先、私の弟が情報に殺された。
失敗作が、急に暴走を始めたからだ。
その失敗作は捕えられた後、人間に処分されるはずだった。
だが、人間には殺せなかった。結局彼を殺したのは病だった。
情報が持っているのは“意志”と“器”だけ。臓器を持っていない彼らは、この世界ではある意味不死身の存在だったんだよ。
――人間というのは、つくづく勝手なイキモノだ。自分達が制御できないと知るやいなや、必要ないと消そうとする。
どちらにせよ、互いの国の危険を感じた代表者たちは、再び会議を開き、二つの条約を結んだ。
一つは、さっき言った“失敗作を殺す条約”。
もう一つは、混乱の根源となったこの国が、“失敗作を回収し、処分する条約”。
一つ目の条約は、人間は情報を殺せないことと矛盾していると思うかい?人間には、確かに情報は殺せない。しかし処分法の研究が進むにつれ、情報は情報を殺せるという事が分かったんだよ。そこで、情報を互いに殺させる事にした。――情報だけの国を創って、戦争をさせることで。
そして二つ目の条約だが……。その回収場所となったのが、この国だよ。しかし、回収する人間がいなければ実行は難しい。そこで、この国に人間を一人だけ残し、他の国民は皆、隣国に移住した。
国内にいる情報は、回収しやすかった。私は情報と人間を一目で区別できたから。だが、隣国はそうも行かない。この国から出られない私には、為す術がなかった。
それを補う為に、隣国から月に一度、失敗作が送られてくる事になった。
そして処分の方法が、君のいる世界――ゲームなんだ。
六人一組で送り込み、一人でもクリアすればこの世界に戻ってこられるけどね。
クリアできなかった者達は、情報と同化して長い眠りにつく。
情報は結局情報でしかない。君の言う通りだ。本来の世界に帰るのだと思えば、あの子達も、少しは救われるだろう。
* * * * *
「……お前の言ったことは、大体分かった。だが、それなら何故、お前は情報一人ひとりに感情移入する?それに六人一組とかいう効率の悪い方法……。お前本当は――」
「もうそれぐらいにしておこう」
そして涼は、打ち明け話でもするように言う。
「そうだ、今日拾った子だけど」
「あっ!そういえばお前、この前俺に、もう拾ってこないからこれで最後だから、とか何とか言ってたよな!」
「そんなこと言ったっけ?まあ、過ぎた事は置いといて――あの子、君の片割れだよ」
「片割れ?……ああ、俺が生まれたときに出来た、“最後の失敗作”か」
「施設から引き取られて隣国に行ったというのに、またここに逆戻りだ」
「よく言うよ」
桃太郎は、照れくさそうに涼に問う。
「で、アイツの名前は?」
「そうだなあ……。涼子、にしようか」
「ありきたりな」
「ああ。でも――」
涼は立ち上がると、モニターの電源を切った。窓から差し込む光が、部屋を明るく照らす。涼は窓を開け、やっぱり寒い、とぼやくと、外に目を向けた。いつの間にか、空が白み始めている。
そして、誰もいなくなった室内に向けて、笑顔で言う。
「でも、良い名前だろう?」