Ryo〜call you, again〜

10



 テレビのニュースは、今日も同じことばかり繰り返している。
『原因不明の感染症が一部地域で広まっており――』
『治療法も分かっておらず、感染者の大半が死亡――』
『専門家はこの病の解析を進めるとともに、感染を防ぐため、外出後の手洗いうがいを奨励しています』
チャンネルを回しても回しても同じ話題。流はため息を吐いて、テレビの電源を切った。
「一体何なんだよ、これは。いい加減聞き飽きた」
 外は晴天。おまけに休日だが、感染症予防のため外出するものは少ない。サービス業はどこも商売あがったりである。
 空気を入れ替えようと、窓を開ける。むわっとした熱風に、流は一瞬顔をしかめた。それと同時に、感染症のニュースを思い出す。
「まさか空気感染とかじゃないよな……?」
しかし念のため、窓を閉める。室内のクーラーの風は涼しいが、流はこの人工的な風があまり好きではなかった。つくづつ兄とは正反対だな、と自嘲する。
「研究所、今日もクーラー利いてるんだろうな」
思わず呟いた言葉に、流はひっかかるものを感じた。ジグソーパズルを作るように、必死に思考の断片をつなぎ合わせる。そして導かれたのは、一つの仮定だった。
「兄貴なら、何か知っているかもしれないな……」


 最近、雪子の体調が芳しくない。
雪子だけでなく、研究員の多くが体調不良を訴えていた。それまで涼だけが世話になっていた医務室は、弱った研究員によって占拠されていた。
「私専用だったのに……」
涼は医務室を覗き、そんなことを呟いた。視線はベッドに寝かされた雪子に注がれている。
 雪子は涼に気付くと、笑顔を作ろうとして、断念した。高熱にうなされているらしい。その荒々しい呼吸に、涼は己がいたたまれなくなった。
「まさかとは思ったが……」
 涼は医務室の扉を閉じ、封鎖された第二研究室へ向かう。立ち入り禁止にしたはずの研究室は、何故か鍵が開いていた。
「……やられた」
涼は苦々しく言うと、室内へ足を踏み入れる。試作品のウイルスのタンクに駆け寄り、中の残量を確認すると、
「――減っている」
以前自分が取り出した時に比べ、かなりの量のウイルスがなくなっていた。
「一体誰がこんなことを……」
疑問を口に出したが、涼にはその答えが分っていた。それ故に、ウイルスの流失を未然に防げなかったことを悔いた。
 うなだれている涼の横顔を、突如光が照らした。小さなモニターの電源が点いている。そこに現れたのは、涼が一番見たくない顔だった。
『どんな気分だ、涼』
冷徹でいて、冷酷。それでいて、高慢な声が響く。
『言っただろう。お前は私の言う通りに動けば良いと。最近のお前はどうもくだらない行動が多すぎる』
「黙れ」
涼はモニターを睨みつけた。
『私はお前に期待しているのだよ。だからもう一度、チャンスを与えてやる』
「……黙れと言っている」
 しかし父の言葉は止まらない。その先に続く言葉が分っているからこそ、涼は耳を塞ぎたくなった。
『お前が愛した女を、殺してみせろ』
「――!」
地の底に叩きつけられるような言葉だった。予想通りの反応だったのか、モニター越しの男の表情が狂喜に歪む。
『私は言ったはずだ。失敗作は処分しろ、と。お前も気付いているのだろう?――あの女は、人間ではない』
「…………」
 涼はふらふらと、モニターに歩みを進めた。そして夢から覚めるのを拒むように、その電源を切ろうとする。
『今まで平気な表情で処分してきて、今更何を拒む必要がある?いつも通り処分して、それで仕舞いだ。私が既に手を打っておいた。ウイルスを散布して、な。あとはお前次第だ』
 かっとなり、涼は電源を殴りつけた。光は消え、研究室は再び闇に包まれる。
『あの女の余命はせいぜい五日。それまでに情報{データ}を完成させろ。それが無理なら、あの女を殺せ。そうすれば、お前に研究を続ける権利を与えよう』
スピーカーから、声だけが聞こえた。涼は音量を操作して、その雑音を消し去る。
「あの男は、狂っている」
 吐き出したい気持ちをこらえ、第一研究室に向かった。
その頃玄関では、
「兄貴ー、雪子さーん!誰でも良いけど鍵開けてくれー!」
ドアをノックして、流が叫んでいた。いつもは開いているはずの扉が閉まっている。
「実験中なのか……?」
仕方がないので、日を改めて尋ねることにした。しかし、流の心に芽生えた不安は拭えなかった。
 夕立なのか、スコールなのか。昼間の青空には見る影もなかったが、その日の暮れは、よく雨が降った。


 霞む視界の中で、雪子は寂しげな研究者を見た。
「涼、さん……」
額に触れた冷たい手が、今の雪子には心地良かった。
「どう、したんですか……」
涼は人差し指を、雪子の口に当てる。喋らなくて良い、ということだろう。
「一つだけ、頼みたいことがある」
囁くように、涼は問う。
「『桃太郎』の話を聞かせてほしい」
「ふふ、変なお願いですね……。良い、ですよ……」
 呼吸を整えて、雪子は語った。脳内に刻み込まれて離れない昔話を。
「そしておばあさんは、桃太郎にバナナを手渡しました」
その一点の間違いに気付かずに。
桃太郎が猿を仲間にするくだりで、涼は話を止めさせた。
「まだ、話せますよ……?」
「良いんだよ。――これでようやく、決心がついた」
「あ、待って――」
遠ざかっていく背中に、雪子は必死で声をかけた。小さくて消え入りそうな声だったが、涼の耳には届いていた。足を止め、雪子の方へ引き返す。
 熱っぽい額に軽く口づけして、涼は微笑んだ。
「君を死なせはしないよ。絶対に」
雪子は安堵したのか、再び睡魔に身を委ねた。


 テレビのニュースでは、飽きることなく同じ話題が繰り返されている。いや、厳密に言えば、“同じ”ではなかった。
 内容は日増しに深刻になり、感染症による死者の数は、ついに三桁を超えた。
それと並行して、各地で殺人事件が起こっていた。いつも通り、と言えばそうかもしれないが、今回は異様だった。警察の調査によると、被害者の近くには必ず犯人がいるそうだ。そしてその犯人は例外なく、現在流行中の感染症患者だった。
「これだけ人通りが少なくなっちまうと、商売にならねえな」
流が勤める飲食店の店長は、そう嘆いていた。 店長の独り言とテレビから流れるアナウンサーの声を聞きながら、流は数日前の出来事について考えていた。どうして研究所の鍵が閉まっていたのか。いつもならすぐに出迎えてくれるはずの雪子や研究員達はどうしたのか。そして姿を見せない涼は一体何を考えているのか。
「おい、流。手が止まってるぞ」
「あ、すいません」
熟考の傍らでおざなりになっていた手を動かす。客は減ったものの、この店は通常営業だ。他店が感染症を心配してシャッターを閉める中、店長は営業を続けている。必然的に、流も出勤せざるを得ないわけで、
「…………こんな時に、顔ぐらい見せろよ、兄貴」
研究所へは、なかなか足を運べなかった。