Ryo〜call you, again〜

12



 流を乗せた救急車を見送り、雪子は医務室へ戻る。事情を聞きつけた警察が捜査を始めているが、雪子は現場を見ていないのであまり関わらないことにした。それよりも気がかりなのは、
「さっきは大丈夫だったのに……」
疲れがどっと押し寄せてきたのか、身体が思うように動かない。今はとにかく、眠りたい気分だった。
「そういえば涼さん、最近研究室から出てこなかったけど……ちゃんとご飯食べてるのかな」
 眠りに就く前にもう一仕事しよう、と、雪子はキッチンに向かった。
 お腹が空いたことも忘れて研究に没頭しているであろう、一人の男の為に。


「想定外のことに時間を取られたな……」
 涼は失った時間を取り返すために、必死でモニターに向かう。しかし流の事が気になって、上手く集中出来なかった。
「あの人なら、そんなくだらないことは捨てろ、とでも言うのかな……」
自嘲気味に、自分がこの世で最も嫌いな男のことを思い出す。
「……まさかとは思うが、あの人の仕業なのか」
 考えたくないが、そう仮説を立てるとつじつまが合う。涼の頭の中に、先程の一件の裏側が組み上がっていく。
「あの男の製造番号は父の時代のものだ……。それならば、あの人の命令を聞いてもおかしくはない。今までにウイルスで人格プログラムが破壊された奴らは全て、私が研究に携わる前に創られた古い情報{データ}たち……。まさか最初から、私が情報を完成させるまで周りの人に危害を加えるつもりで――」
『その通りだ』
 モニターに突然映し出されたその顔に、涼は呆れた表情を見せる。
「その登場はもう飽きましたよ。……やはり私は、ずっと監視されていたようだ」
忌々しげに、涼は研究室内のカメラを睨みつける。
『お前がいつまでもだらだらとやっているのが悪い。これでも私は考えたんだよ。どうしたらお前が本気で研究に取り組むのか。そこである結論に至った。邪魔者を全て排除すれば、お前は研究に打ち込まざるを得ない、とね』
 涼は自ら破った白衣の袖を見つめる。わずかに残る血痕。苦しそうな流の姿を思い出し、
「――外道が」
吐き捨てるように、そう言った。
『あと二日だ。早く完成させろ。さもなくばまた刺客を送り込むぞ。流のいる病院は、私も把握している――』
 男の言葉は、ノックの音に遮られた。
「涼さーん、入りますよー」
「雪子……?――っ、駄目だ!」
『ほう?』
雪子が部屋に入ると、見知らぬ男と目が合った。
『貴様さえいなければ……』
モニターの中の冷徹な男の顔が一変した。
『貴様の所為で、涼は変わってしまった!私の忠実な右腕だった涼が……!貴様がくだらない感情を涼に教えなければ、こんなことにはならなかった!』
取り乱した男の姿には、いつもの冷酷さはなかった。憤怒。嫉妬。矛盾。ありとあらゆる負の感情が入り混じった物言いに、雪子の堪忍袋の緒が切れた。
「勝手なこと言わないで!くだらない感情って何ですか!涼さんは、あなたの道具じゃない!」
 雪子はモニターにつかつかと歩み寄ると、画面を思い切り叩いた。何度も、何度も。そんなことをしても無駄だということは、分っていたはずだったが。
「あなたなんかに涼さんは渡さない!私が涼さんを、解放してみせる!」
予想外の反撃に、男は狼狽えた。ここまで自分に歯向かった者は、今まで見たことがなかったからだ。
『……そうか。やれるものならやってみろ。まあ、無駄だと思うがな』
 ひねりのない捨て台詞を残して、モニターから男が消える。すると先程まで涼が組んでいた文字の羅列が現れた。その配列を見て、
「これって……!」
 雪子は息を呑んだ。今まで共に取り組んできたの情報組成プログラムではない、見慣れない配列。
「感染症患者のための、ワクチンだよ」
涼は気恥ずかしそうに説明を始めた。
「父の所為とはいえ、ウイルスが流出したことは私にも責任がある。君を救う為には、もうこれしか方法が思い付かなかった」
「涼さん……」
 雪子はもう一度、モニターを眺めた。涼がこの数日間で組んだ、新しいプログラム。完成までは程遠かったが、それでも誰かを救いたいという、涼の意思が伝わってきた。その「誰か」が、恐らくは自分であることも。
「一人では、あと一週間はかかりますよ」
現実的な意見に、涼はたじろいだ。
「二人なら、間に合うかもしれません」
「え……」
思い通りにならない身体に鞭打って、雪子は言う。いつものように、笑顔で。
「やりましょう。私も手伝いますから。ついでに情報も完成させて、さっきのモニターの人ともお別れしましょう。……ここじゃない場所で、静かに暮らしませんか?」
 雪子が無理をしているのは明白だった。それでもその優しさが、今の涼には嬉しかった。
「――あ、いけない!お鍋、火にかけっぱなしだった!」
出会った時と同じ言葉を残して、雪子はキッチンへと駆けていく。遠ざかっていく後姿を見ながら、涼はあることを思い出す。
「そう言えば、何も食べてなかった」
久方ぶりの空腹を感じて、椅子に腰掛ける。
「ホワイトシチューが食べたいな」
口に出せば、現実になりそうだった。
 まもなく、雪子が二人分の食事を研究室に運んできた。ホワイトシチューだった。
「涼さん、何がおかしいんです?」
「いや、予想通りだと思ってね」
わずかだが、和やかな時間が流れた。