Ryo〜call you, again〜



 二人分のコーヒーを持って、雪子が駆け寄ってくる。コーヒーが時折こぼれそうになるので、流は見ていて気が気でなかった。
「折角来たんですから、これ、飲んでいって下さい。えっと……」
「流。……認めたくないけど、こいつの弟」
雪子は、コンビニスイーツを真剣に吟味する涼と、対応のしっかりした流を見比べて苦笑した。
「何だか、あなたの方がお兄さんみたいですね、流さん」
「よく言われる」
 流は渡されたコーヒーを一口。本当はコーヒーより紅茶の方が好きなのだが、貰った物は有難く受け取る主義だ。口内を通り抜ける苦味に流は顔をしかめたが、雪子には気付かれないようにした。
「アンタが、雪子さん?」
「そうです。どうして私の名前を……?」
「兄貴が言ってた。自分の面倒見てくれて気が利く人だ、って」
「そうですか。涼さんが……」
照れくさそうにはにかんだ雪子に、流は少し胸がざわついた。
 ――この感覚、前にもどこかで感じたことがある。
 その原因が何なのか、この時の流にはまだ分らなかった。
「よし、私が全部食べよう」
 たっぷり十分ほど考え、涼はそんな、結論とも言えない結論を出した。
「涼さん、一度に全部食べちゃ駄目ですよ。冷蔵庫に入れておきますから、今は二つまでにしてください」
「えー」
「兄貴、大人しく雪子さんのいうこと聞いとけ。昔食べ過ぎて腹壊したことあっただろ」
流と雪子から集中攻撃を受けて、涼は仕方なくシュークリームとロールケーキを手に取った。すぐさま雪子が残りのコンビニスイーツを没収する。
「やっぱり流の買ってきたものは美味しい」
「そりゃどーも」
コンビニで片っ端からデザート買ってくるだけなんだけど、とは言わない。涼に褒められるのは嫌いではなかった。

 幼い頃から天才だと崇められている涼に、劣等感を抱いたことは何度もあった。飛び級を重ね、僅か九歳で大学生となった涼に比べ、流は平凡な学歴しか持っていない。現在十八歳の彼は、高校三年生。年相応といえるだろう。一方で、一つ年上の涼は国立情報研究所の所長である。
 しかし涼は、勉強以外のことに関しては人並み以下だった。生活水準が限りなく低い。自分のやりたい研究が出来ればそれで良い、というのが涼の言い分だ。流はそれとは対照的に、家事全般を身につけ、兄の介護――もとい、兄の生活面での手助けが出来るまでに成長した。とはいえ、あまりにも兄ばかりが褒められるので、グレて不良少年になってしまったことは事実である。
「兄貴もいい加減、人間らしい生活を送ってくれよ」
 無意識に呟いたその言葉は、流の本心だった。見た目はグレても、兄思いの弟である。
「ふぇ?」
シュークリームを口にくわえ、涼は気の抜けた返事をした。
「涼さん、口の周りにクリームが付いてますよ。あと、お行儀悪いです」
雪子に注意されるその姿に、流はまたしてもため息を吐いた。そんな抜けている兄だからこそ、見捨てずにいられるのだが。

 流は残りのコーヒーを一気に飲み干し、
「ところで、研究の方はどうなんだ」
心配そうに尋ねた。涼はシュークリームを食べ終わり、ロールケーキに手を伸ばすところだった。
「順調、とは言い難いかな。プログラムは徐々に組み上がっているんだが、まだ不完全だ」
先程までとは違う研究者としての姿が、そこにはあった。ロールケーキからは興味を失ったらしい。腕を組んで、大きなモニターを見上げる涼の表情からは、一切の感情が抜け落ちていた。流はこの表情が苦手だった。
「何せ私が生まれる前から続いている研究だ。感情を持った情報{データ}を創る、というのは案外難しいものだね」
 感情を持った情報。それを創るのが、涼に与えられた課題だった。平たく言えば、人工知能に近い。人間と寸分違わぬそれをモニターの中――二次元世界――に完成させ、人間に代わって諸々の問題解決に当たらせる。そんな怠惰極まりない考えが、この国には蔓延していた。
 切欠は、ある研究者の一言だった。
 自分の分身に面倒ごとを全部押し付けてしまえば、もっと楽に生活出来る。
 魅力的な発想だった。利便性を追及する時代において、それは好意を持って受け入れられた。すぐにその研究者を中心に、人間の分身を創る研究が始まった。人間に危害を加えることがないよう、二次元世界で活動する情報{データ}。ある意味では、人類の一つの夢の形だった。
 それから数十年。情報はまだ、完成していない。
「兄貴がそんなに苦戦するなんて珍しいな」
「私も驚いたよ。ここまで結果が出ない研究は初めてだ。しかし、私がやるからには、完成させてみせるさ」
断言する涼の背中が、流にはとても遠く見えた。

 再び研究に没頭し始めた兄に別れを告げ、流は夕暮れの道を進む。家に帰れば顔を合わせることになる、もう一人の天才の存在が頭をよぎる。流はますます顔をしかめて、
「誰の所為でこんなことになってんだよ……!」
道端の小石を蹴り飛ばした。小石は勢いよく音を立てて、ガードレールにぶつかった。