Ryo〜call you, again〜



「私達が今行っている研究は、四十年ほど前から続く。情報に意思を持たせ、人間の分身をモニター内に創り出す。実用化されれば、人間は、より楽な生活が出来るようになる。そういうことを言った研究者が、国家をも巻き込んで始めた研究だった。
 どんな研究にも失敗は付き物だ。当然この研究も、何度も失敗を重ねた。しかし厄介なのは、それによって生み出された“失敗作”の存在だった。
 最初に研究を始めた者は、よほど優秀だったらしい。人間と瓜二つのプログラムを、ものの一年余で創り上げた。――そこまでは良かった。
 あまりにも、そのプログラムはよく出来ていたんだ。故に、プログラムはモニターの中に収めることが出来なかった。
 情報{データ}が、実体化してしまったんだよ。
 意思を持ち、器を実世界に生成してしまった情報は、もはや人間そのものだった。しばらく隔離されていたその情報は、人間に危害を加えないことが分かると、実験も兼ねて外の世界に送り出された。その結果彼らは、人間に紛れて生活するようになった。
 その後も失敗作は次々と生まれた。プログラムを修正し、起動させる度に、一人、また一人と情報は実体化し、外の世界に送り込まれた。

 しかし数年が経ち、ある問題が浮上した。実体化した情報同士が、子を成してしまったんだよ。
 情報は、ついに研究者の理解の範疇を超えた。そこで研究者は考えた。
 理解出来ないものなど、もう要らない、ってね。
 そして始まったのが、失敗作の“処分”だ。勿論公にしたら社会が混乱する。国家機密として扱われた情報の処分は、国立情報研究所の所長の手に委ねられた。自分の不始末は自分でつけろ、とでも言わんばかりに。……私も所長だからね。当然、その義務を負った。二年ほど前から、私は秘密裏に、実体化した情報を処分している。
 処分方法は簡単だ。情報に、ウイルスを注入する。それだけだよ。たったそれだけで情報のプログラムは破壊され、死滅する。見た目は人間と同じだから、周囲の人は、病死したとでも思ってくれるだろう。そうでなくても、国が事実を捻じ曲げ、隠蔽する。首謀者は絶対に捕まることがない。ある種の完全犯罪とも言えるシステムが、この国に完成した。
 それにも拘らず、実体化した情報は減らなかった。こちらが処分する数に対して、あちらは増えすぎている。その数は、もう私にも把握出来ない。更に外見で見分けることも困難となっている。特に外の世界で生まれた子は、人間とほぼ見分けが付かない。
 研究所から出た失敗作には製造番号が付いているから、人間と区別出来る。しかし彼らが成した子には、製造番号がないんだよ。こうなれば、情報だけを処分する方法を、他に考えなければならない。もっと効率的な方法を、ね。
 この研究所では、新たなウイルスの研究も行われているだろう?これは、情報を処分するための研究なんだよ。尤も、研究チームには教えていないけどね。
 今日は、九人の情報を処分してきた。今まで私が処分した人数は今日の分を合わせて、百二十五人。国が隠蔽していなかったら、私は稀代の殺人鬼だ…………」

 涼はそこで言葉を区切り、片腕で眼鏡のかかっていない目を覆った。涙を隠すような仕草だったが、涼の目に涙は浮かんでいない。雪子は、涼のもう片方の手を、両手で優しく包み込むと、
「でも、涼さんはやりたくなかったんですよね。それなのに、ずっと一人で、それを抱え込んでいたんですね……」
震える声でそう言った。その様子に、涼は目を覆っていた腕をどける。
「どうして、そう思うんだい」
「だって涼さんは、優しい人だから――」
かすかに鼻をすする音が聞こえる。涼のものではない。涼は空いている手を、雪子の頬に伸ばす。
 つう、と、温かい水が涼の手に触れた。
「泣いているのかい……?」
「そ、そんなことありませんよ!」
強がっているのは明らかだった。手を伝って、雪子が必死に涙を堪えようとする様子が分る。雪子の目から溢れた涙を、涼は指でそっと拭い、
「私はもう、泣くことなんて忘れてしまったから――。泣きたい時に泣ける君が、少し羨ましいよ」
精一杯の言葉をかけた。それは、思いやるには不十分だったかもしれない。しかし雪子は、
「涼さんも、いつかそうやって泣ける日が、来ますよ」
しゃくりあげながら言うと、涼の手を握って思い切り泣いた。
 涼はその腕を握り返す。頼りない力だったが、雪子には嬉しかった。
「人の手って、温かいんだね……」
涼は泣きじゃくる雪子に聞かれないように、そっと呟いた。
 思えばこの時、涼は初めて、人の温もりを知ったのかもしれない。