桃太郎

第十九話「ゲームオーバー」―前―


 それは、少し昔の物語。
 鬼ヶ島に、泉と空が来たばかりの頃。
 言い争いながら、島で唯一の建物を目指して歩く二人が出会ったのは、
「よお。……そんなにあからさまに警戒するなよ、哀しくなるじゃねえか。
 俺は桃太郎。ある奴に頼まれてな、ここでお前らを鍛えるように言われている。――涼を倒したいんだろう?」
 涼。その名前を聞いた途端、二人の表情が強ばった。
「この島に伝わる体術を教えてやるよ。もっとも、禁術とか呼ばれる技だけどな」
 それから二人は、桃太郎の下、三日三晩、修行に明け暮れた。
 そして禁術を会得したその日、二人はこんなことを言われた。
「お前ら、いい加減意地張るのは止めたらどうだ」
「意地?」
二人はきょとんとした顔で、師匠こと、桃太郎を見つめた。
「自分の気持ちに素直になれってことだ。――よし、空。お前今日から泉のこと、『姉者』って呼べ」
「師匠!何でこんな奴を――」
「だって泉の方がお前より一つ年上だし、この技の会得も早かったじゃないか」
「うっ……」
「さあ、どうする?」
桃太郎は面白そうに、腕組みをして悩む空と、それを見つめる泉を見ていた。
 たっぷり数十秒悩んだ空は、
「あ、姉者……」
顔を赤らめながら恥ずかしそうに、泉をそう呼んだ。


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 竹田達が扉の向こうに消えたのを見届けると、泉と空は一旦間合いを取った。
「こうしていると、あの時のことを思い出すよ」
「俺もだ。お前のことを、初めて『姉者』と呼んだ日のことだろ?」
「ああ。だが、今は懐かしんでいる余裕は無さそうだ。――久々の本気、見せてやろうじゃないか」
 泉は長く息を吐くと、桃太郎の背後に回りこんだ。泉の反対側――桃太郎の正面には空が控えている。
「挟み撃ちってわけか。だが、その程度では俺が倒せないことを、お前らはよく知っているはずだ」
桃太郎は、薄く笑みを浮かべ、二人の動きに目を光らせている。
「確かに、よく知っている。だが俺たちも、師匠がどう動くのかはよく分かっている。昔、戦い方を教わったおかげで」
 空が言い終えると同時に、泉は突きを繰り出した。桃太郎の心臓目がけて出されたそれは、普通は避けられる速さではなかった。
 桃太郎は、急所に当たるのを防ごうとして身体をかがめた。
「――!」
桃太郎は、自分の身体が跳ね上がったことに気付くと、何が起きたのか、瞬時に理解した。
 泉の突きをかわそうと身体をかがめると同時に、空の下段蹴りに襲われたのである。
 着地した桃太郎の顔からは、笑みが消えていた。蹴られた頬は、赤く腫れている。
「なるほど……鬼翔撃{キショウゲキ}か」
「いつまでもあの時のままだと思うなよ、師匠」
そう返した泉の右腕からは、血が垂れていた。
「だがその技、あと何回出せる?俺から見れば、あと一度出せるか出せないか……そんなところじゃないのか?」
 泉は痛む腕を押さえながら、荒れた呼吸を整えることに努めた。
「つまりお前らは、さっきのあの攻撃で俺を仕留めるべきだった。何故なら――」
 桃太郎の姿が消えた。

「本気になった俺に、勝てるはずがないよなあ?」
 そして桃太郎は、空の背後に突然現れた。背中を襲った激しい衝撃に、空は顔を歪めた。
「空!」
 叫ぶ泉のすぐ側を、何かが飛んでいった。
 闘技場を囲う背後の壁が、音を立てて崩れた。
 恐る恐るそちらを振り向くと、瓦礫の中に空の姿を見つけた。
「――く」
空、と言う叫びは声にならなかった。
「戦いの間によそ見はいけないよなあ」
 突然右腕を桃太郎に掴まれ、そのまま持ち上げられた泉は、目の前の桃太郎を睨みつけた。
「師匠に倒されるなら本望だと思えよ」
桃太郎は、空と同じ位置に、泉を投げ飛ばした。

 かろうじて意識を保っていた空は、こちらに飛んでくる泉を、すんでのところで受け止めた。衝撃と腕の痛みに、泉は思わずうなった。
「鬼翔撃ってのはなあ、諸刃の剣なんだよ。当たれば強いが外れれば自分を痛めつける。だからこの世界では、禁術だと言われている」
桃太郎は、間合いを詰めようとはしなかった。ただ二人に向かって、つまらなそうに話している。 それはまるで、世間話のような口調だった。
「俺が昔、お前らに教えたことだけどな。その時の忠告、覚えているか、空?」
指名されたことへの不快感を隠さずに、空は答えた。
「体中の“気”を腕に溜め込み、突きの形で相手に放出する為、外れた場合、放出する場所を失った気は、体内で暴発する。どれだけ武術に優れたものでも、二回外せば腕が使い物にならなくなるから、乱用してはいけない」
「その通りだ」
 一瞬風が吹いたかと思うと、桃太郎の姿は目の前にあった。
「だが俺には、その技は通用しないぜ。何せ、当たらないからな」