桃が流れていた。
通常の三十倍はある大きな桃が、川を静かに流れていた。
その中に、人が乗っていた。長い髪を後ろでポニーテールにしている、十三歳ほどの少女。よく見ると少女の横には、――犬に羽が生えた生き物とでも表現すればいいのか――不思議な生き物が、その小さな羽をパタパタと動かして浮かんでいた。
「………ねえ、そろそろ私をここに連れてきた理由、教えてほしいんだけど――」
少女が口を開くと、犬のような生き物は怪訝そうに答えた。
「何?そんなことも分かんないの?情けないってゆーか何てゆーか……」
「な、名前も名乗らないような奴に、言われたくないわよ」
「……フン。そんなに知りたいなら教えてあげようじゃないの。アタシの名前は、“ももまん・ケンタッチョー”よ!」
「うわ、何か長いわね……“ももまん”で良い?」
「…………」
ももまんは、心底気分を害したようだった。
「……人の名前にケチつけてんじゃないわよ!そういうアンタこそ、さっさと名乗りなさいよ!」
すると少女は、待ってました、と言わんばかりの勢いで、
「私は水無月涼子{ミナヅキリョウコ} 。アナタなんかより、ずっと良い名前でしょ?」
と、誇らしげに名乗った。ももまんは、またも気分を害したようだった。
「あ。そういえば、まだ答えてもらってなかったわね。私をここに連れてきた理由」
涼子が思い出したように付け足すと、ももまんは、呆れた顔でため息をついた。
「そんなの……ダーツで決まる以外に、何があるってゆーの」
「え…………?」
予想外の答えに、涼子は反論できなかった。「ダー○の旅のパクリじゃない!」と、一瞬ツッコミを入れそうにはなったが。
* * * * *
時は少しさかのぼる。
気がつくと桃の中に倒れていた涼子は、状況を理解できぬまま、川の流れに揺られていた。それはもう、「どんぶらこっこ」とでも言いたくなるような揺られ方であった。
とりあえず辺りを見回してみる。桃の中は意外と広く、人が二人、楽に座ることが出来るような造りになっていた。前方にはモニターが備え付けられており、外の様子が分かるようになっている。そして、そのモニターの下には、大小様々なボタンがあり、何故か真ん中にはルーレットが置いてあった。
涼子がルーレットに触れようと手を伸ばすと、
「それ、勝手に触らない方が良いわよ」
突然、横から声が聞こえた。
「……アナタ、何時からここに……?」
「さっきからいたわよ!なによその『あーゴメーン。小さくて全然気付かなかったー』みたいな反応は!」
涼子は目を丸くして、早口でまくし立てているももまんを見つめた。……小さくて、今まで全く気がつかなかった。手の平サイズのそいつは、なおも機嫌が悪そうに、こう続けた。
「そのルーレット、無闇に触ると、すごいことが起こるから」
「え?これ、そんなにすごいものなの?」
「……全く――」
ももまんはそう呟くと、小さな手で、ルーレットを回し始めた。
「アンタねー、ちょっとは自分の心配したらどう?」
「どうして?」
涼子は訳も分からずそう答えたが、
「だってこれ、ルーレットで決まったところにしかワープできないもの」
それを聞くと、流石に心配になったのか、慌ててルーレットを覗き込んだ。
そこにあったのは、“村娘の家”、“犬小屋”、“悪徳設計士が建てたマンション”、“世界の裏側”、“アンズの川”、といった、どう見ても適当に考えたような行き先だった。
「アンズの川………?三途の川の間違いよね、きっと……」
そちらの方が嫌な気もするが、今の涼子はそれが分からないぐらい動揺していた。頼むから“村娘の家”になって欲しかった。
涼子が小声でぶつぶつ呟いていると、
「あ。決まった」
ももまんが不意に声を上げた。
涼子は顔を上げると、ものすごい勢いでルーレットを睨んだ。
ルーレットの針は、“村娘の家”を指して止まっていた。
「良かった……!」
心底喜んでいる涼子の横で、舌打ちが聞こえたような気がしたが、気にしないでおこう。
その時、モニターの景色が急に歪み始め、先程まで穏やかだった揺れが、地震のような強いものに変わった。
「な、何なの!?」
「あー、言ってなかったっけ。これはルーレットで決まった所に自動でワープするようになってるのよ」
「ワープなんて非科学的な!」
「今突っ込まれてもねー」
『余裕ぶっこいてんじゃないわよ!』と言おうとした涼子だったが、あまりの振動に舌を噛みそうになった。
誰か、助けてー!!
涼子の心の叫びをあざ笑うかのように、桃はどんどん進んでいた。