桃太郎

第二十話「裏切り」


「……ねえ、涼子を助ける必要って、本当にあるの?」
 最後尾を走っていた芝田は、不意に足を止め、そう尋ねた。前を行く竹田は怪訝な顔をして振り返り、坂田もまた、足を止めた。
「今更何言ってんだよ、芝田」
 竹田はそれだけ言うと、目の前に続く螺旋階段に向き直った。その先は、遥か遠くで途切れている。
「でも……!涼子は、私達のことをずっと騙していたんでしょ?助けに行ったところで、どうせまた騙されるに決まってるわ」
苦々しい表情で言う芝田をもう一度振り向くと、竹田は言った。
「オレは、アイツが嘘を吐いていることを否定はしない」
「だったら――!」
「だが、アイツが嘘を吐いた相手は、本当にオレ達だけか?」
 芝田はハッとして、竹田の顔を見上げた。
「アイツは一筋縄ではいかない奴だからな。オレの予想が正しければ、恐らく今頃は――」


「涼子、これは一体何のつもりなのかな」
「そのままの意味よ。……アナタを倒して、私は、私の仲間を守る」
 涼は床に倒れ込んでいた。右の頬は赤く腫れ、眼鏡は少し離れた所に鎮座している。涼は尚も余裕の表情を崩さず、
「私を殺せば、元の世界に返れなくなるかもしれないよ」
「……それでも、みんなが生き残れるならそれで良い」
涼子は拳を握ったまま答えた。
「涼子、それは君のエゴだ。彼らが望んでいるのは元の世界に帰ること。しかし君は、君自身の勝手な理由で、彼らをこの世界に閉じ込めようとしているのだから。それに――」
 涼は白衣のポケットから、鈍く光る黒い何かを取り出し、
「本当に殺すなら、これぐらいしないとね」
その銃口は、真っ直ぐ涼子に向けられた。


「竹田君の予想はきっと当たっていると思います。そしてもう一つ言えるのは、嘘を吐いているのは涼子さんだけではないということです」
 そう言いながら、坂田はさっさと階段を登り始めた。怪訝な顔をして後をついてくる二人を気にも留めず歩を進め、ある程度登ったところで、急に足を止めた。
「……そう。嘘吐きは涼子さんだけじゃないんですよ」
 坂田が壁に手をやると、その箇所が突然光を帯びた。
「坂田……?」
「僕の目的は、ずっとあなた達とは違っていたんですよ」
そして光は強さを増し、それが消えた頃、坂田の姿もそこにはなかった。


「……無理よ。あなたに私が殺せるはずがない。だってアナタは――」
「そうだね。私には無理だ。でも涼子、どうして手を汚すのが私だと決め付けているんだい?」
 そう言うと、涼はあっさりと銃口を下ろした。
 涼子は涼の双眸を睨みつけた。眼鏡に覆われていないその瞳からは、まだ余裕の色が消えていない。
「決め付けるのは、君の悪い癖だね。昔から全然変わっていない。私はいつも言っているだろう?
 ――未来はいつも、自分の手の届かない所で動いている」
 涼子は、背後から殺気を感じて振り返った。
「手を下すのは、私の役目じゃないよ」
「……!」
 涼子は愕然とした。
 背後から、自分を冷たく睨みつけているその人物は、
「………坂田」
「ずっと、あなたを殺したいと思っていました」
涼子が守ろうとしていた内の一人だった。
「なかなか良い演出だろう?」
 研究者は、眼鏡を拾い上げながら笑った。

「もう一つ、良いことを教えてあげよう。これは私の設定ではない。私はただ、ヒントを与えただけだ。あの峠で」
「鈴音さんの……」
「そうです。僕はあの場所で、自分の過去と向き合わされました。……あなたの所為で」
 その声は、深海のように暗く、冷たかった。
「あなたが何故、わざわざそんなことをしたのかは分かりませんが、結果として、あなたは自分で自分の寿命を縮めました。
 ――僕は、あなたをずっと殺したかった。それを、あの峠で思い出しました」
 涼子が坂田に気を取られている内に、涼は坂田のもとへ歩み寄り、銃を手渡した。
「涼子、君は知っているかい?彼が辿った、残酷な運命を」
 坂田はゆっくりと、照準を涼子に合わせた。
「さようなら、涼子さん」