桃太郎

第二十五話「living or death」


 銃口が、向かい合っていた。
 少女の銃と、男の銃。
 先に撃った方が確実に生き残れるという状況の中、二人とも、無駄な動きは出来なかった。
 時が流れ、夜空に花火が瞬く。
 眩い光が部屋を包み込んだ瞬間、一発の銃声が生まれた。
 実際それは、二人が全く同じタイミングで撃った、二発分の銃声だったが。

*        *              *              *        *

 五年前、とある国に、両親をテロで亡くした一人の少女がいました。
 少女の生まれた国は、隣国との争いが絶えない貧しい国でした。
 ただそれも、国全体が貧しいのではなく、貧富の差が極端な為でした。
 少女の両親が死んだテロで、少女は一人の男の顔を見ました。
 実戦部隊の司令官らしき、隣国の軍服を着た男。
 少女は男に復讐するために、自国の軍に入りました。そうしなければ生きられなかったのです。
 少女は銃の使い方を覚え、格闘技も覚えました。目的を成し遂げる為なら、何でもやりました。
 特に銃の腕前は、軍の中でもトップを争うほどに上達しました。どんな状況でも冷静に対応出来た少女が、狙いを外すことはありませんでした。

 少女が軍に入って三年が経ったある日のことです。
 少女は極秘任務で、隣国の島国に行くことになりました。そこは、あの男がいる国でした。任務内容は現地で教えられるので直前まで秘密、とのことでした。
 明朝、少女は何も知らぬまま、隣国行きの軍艦に乗りました。
 艦内は、決して広くはありませんでした。倉庫らしき一室に大勢が集められ、そこで一夜を明かしました。もちろん、少女もそこにいました。
 その部屋には、少女と同じ軍人の他にも、老若男女を問わず多くの民間人がいました。
 人々は皆、一言も口を利かず、ただ下を向いているだけでした。

 軍艦は港に着くと、その部屋にいた人を全て降ろして去って行きました。
 命令はありません。少女達は、捨てられたのです。
 
 見ず知らずのその土地を、人々はさ迷いました。老人や子供達は真っ先に倒れていきましたが、誰も気にしません。あても無く、人々は休まず歩き続けました。
 その内大人も倒れ始めましたが、幸い少女は軍で身体を鍛えていたので、歩き続けることは、それほど苦にはなりませんでした。
 しかし、水も食料も口にしていなかったので、軍人も次第に倒れ始めました。
 歩き続ける人々が最初の四分の一ほどになった時、少女達は灯りを見つけました。
 それは、祭りの提灯の灯りでした。
 ソースの焦げる香ばしい匂いが漂う屋台の群れに、少女以外の人々は互いを押しのけ、踏みつけ合いながら走っていきました。
 一人残された少女は、散々踏みつけられた自分の手を、力の無い瞳で見つめました。手には血と泥がこびりついていて、細くやせ細っていました。
 ふと顔を上げると、その視界の中に見知った顔が飛び込んできました。
 テロの時に見た、あの男の顔でした。

 少女は迫ってくる人ごみを避けながら、男を追います。ようやく見つけた男の周りには、彼の妻らしき女と、その子供のような男の子と女の子が一人ずつ。少女は気づかれぬよう、後をつけました。
 しばらくすると、男の子は男達から離れて、髪を肩より少し長めの位置で切りそろえた、どこか上品な物腰の女の子の方へと走っていきました。男の子とはなれた後も、男達は祭りを見て回りましたが、やがて家路に着きました。
 男達は家に入り、少女は家へ忍び込みました。

 ギシッという物音に気付いた男は、壁にかけてあったホルスターから、拳銃を抜き取りました。妻達はそれを見るなり、隣の部屋に逃げ込みます。
「隠れていないで出てきなさい」
 男は少女が隠れている方を向いて言いました。少女は潔く、男の前に姿を現しました。
「そうか……。君はあの時の――」
そして男は銃口を下に向けると、少女に向けて微笑みました。
「良かった………生きていたのか」
 突然復讐の相手に微笑まれて、少女は久しぶりに動揺を感じました。
 男は、クローゼットから衣服を取り出し、そこに隠してあった銃を、少女の足元に滑らせました。
「あの時、君は言ったな。私の顔を見て、絶対に復讐してやる、と。今日は、それを果たしに来たのだろう?」
 少女はゆっくりと銃を手に取ります。使い慣れていない銃を、震える両手に収めました。
 そして、試し撃ちをするかのように、一発。
 それは、隣の部屋から僅かにのぞいた女の身体を打ち抜きました。動かなくなった女の手が、床に崩れ落ちました。
 次に、女の腕にすがりつく女の子に一発。
 女の子を貫通した弾丸は、壁をえぐりました。
 一連の動作を流れるように終えた少女を見て、男の頬を一筋の汗が伝いました。
「私は、ずっと君に殺されるのを待っていた。解放されたくて、な。だが――」
 男の銃が、ついに少女を向きました。
「だとしても、殺すのは私だけにしてもらいたい!」
そこに先程までの微笑は無く、あるのは悲しみと憎悪でした。
「昔はこちらから攻撃を仕掛けるのは禁止されていたのだが、今の我が軍には、そんなわずらわしい規則も無いしな」
男が呟く間も、少女は何も言わず、狙いをそらそうとはしませんでした。
 そして、銃声が生まれました。

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 わき腹から血を流して歩き続けた私は、とうとう意識を失った。
 道の真ん中で、動物の死骸のように倒れていた私は、気がつくとベッドの中にいた。
 痛む箇所に手を当てると、真新しい包帯がある。真っ白な布団の中で再び眠りに落ち行く私の額に、誰かの手が添えられた。私は熱でもあったのか、その体温の低い大きな手が、とても心地よく感じた。
 どうしてもその手の主が見たくなった私は、思い目蓋を必死に開けた。
 手の主の、三つ編みにされた長い髪と白衣が目に入った。
「無理しないで、ゆっくり寝ると良い」
耳に入る低めの声。手の主は男のようだ。
「わたし、は……?」
 かすれた声でそう言うと、男の手が優しく私の頭をなでた。その仕草は、まるで……
「もし君にその気があるなら、私が君の親になろう」
 まるでお父さんみたい。そう言いたかったが、声にならない。ようやく口に出来たのは、
「生き、たい」
とても短い言葉だけだった。

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 ――思い出したか、涼子。
 ――私、お父さんに酷いこと言っちゃったみたいね。それに、あの時撃ったあの人って、坂田の……。
 ――今更悔やんでもどうにもならないだろ。とりあえず、そろそろ戻れ。
 ――戻るって、どこに?
 ――お前が本来在るべき所だよ。それが、お前達が望んだことじゃないのか?
 ――でも私、人を殺してるのよ!
 ――だからどうした。死んで償えるものなんて何も無い。お前はそれを分かっていたから、涼と共に生きることを選んだんだろ?本当に償おうと思ってんなら、罪を背負って最期まで生きてみろ!
 ――私……また、逃げようとしてたんだね。……ありがとう、忠告してくれて。
 ――じゃあこれで、またしばらくはお別れだ。
 ――え?
 ――もう会えないって訳じゃない。お前の心の迷いが消えれば、俺の役目は終わる。それにお前言っただろう?
 ――影は、影らしくしてなさい……。
 ――そういうことだ。

 身体の感覚が戻ってくる。
 目を開けると、見慣れたお父さんの研究所の天井が飛び込んでくる。真っ白な布団の中の私の額に、大きな手が添えられる。
 あの時のまま、私は水無月涼の――お父さんの養い子だった。