桃太郎

第四話「バナナはおやつに入りますか?」―前―


 村中、大騒ぎだった。

「おいおい、お前さん聞いたか?川沿いの娘のところに、客が来たってよ!」
「ああ。なんでもまた、川から流れてきたそうじゃないか」
「……またあんなガキじゃないだろうな?」
「いや、今度は女の子だと」
「女か……。今度は女狐か?」
「まあ、とりあえず、見に行ってみようじゃないか!」


「わ、分かっている!今紹介するから!」
 林の周りには、たくさんの村人たちの姿があった。
 村中の人が集まってきているため、林が声を張り上げないと、とても後ろまで届かない、それほどの騒がしさだった。
 そして今、その騒がしさは嘘のように止み、視線はある人物に集中した。
「紹介するよ。こいつは水無月涼子。そして――私は林だ。」
 皆、あっけに取られて声も出なかった。
 涼子の姿に驚いたわけではない。今まで名前で呼んだことがない少女が名乗り上げたことにだ。――いや、正確にはかつて一人だけ、その名で少女を呼んでいた者がいたが。それでもその時の少女は、自らこの名を名乗ったことは無かった。それだけに、何故今回は名を明かしたのか、不思議でならなかったのだ。
 乾いた風が、あたりの木々を揺らす。
 このまま時だけが過ぎると、誰もが思ったその時だった。
「私が――」
 村人は、始めて涼子の声を聴いた。
「私が、名前をつけたんです。……いつか林が、こうやってみんなに囲まれて暮らせるように」
 林はその声を、黙って聴いていた。その顔に、静かな笑みをたたえたまま。
「林ちゃん」
 涼子のものではない優しげな別の声がその名を呼んだ。
 それは、村人の一人だった。自然と人ごみが割れ、皆の視界に入ったのは少し腰の曲がった老婆だった。
「林ちゃん、もうあなただけが背負う必要は無いんだよ。あの事は、もう気にする必要は無いよ。――村に、帰っておいで。」
老婆の眼差しは穏やかで、とても、暖かかった。
 林は一瞬目を見開くと、少し考えるように、視線を落とした。
 
「そうだよ。戻っておいで」
「あの時は、お前を責めて済まなかった。でも、あれはお前だけの責任じゃないんだ。だからもう一度、村でやり直さないか?」
「お前はもともと、村の人間だろう?」
「償いは、村人みんなでやれば良い」
「帰ってこいよ、林!」
 林にはその声が、ちゃんと聞こえていた。
 だからこそ、村人全員を見渡して、こういった。
「……みんな、ありがとう。気持ちはすごく嬉しいよ。……でも、ごめん」
「――!何で……」
 林は反論しようとした村人を手で制すと、よく響く声でこう言った。
「ごめん。村には戻れない。私は――あいつと過ごしたこの場所が好きだから」
 そこは、粗末な家が1軒あるだけの、殺風景な場所だった。
 だが今は、たくさんの木々が立ち並ぶ森のように賑わっていた。


*        *              *              *        *

 それから十日後のことだった。

「いつまであの娘をこの村においておくつもりだ!」
村の中心、村長の家で涼子はその言葉を聞いた。

 涼子はこの日、林に頼まれた物を届けに村長の家を訪れた。そして戸を開けようと手を伸ばした時、この声を聞いたのだった。
 間違いなく涼子のことだ。あの娘、とは。
 口論は更に続く。だがその言葉は、もはや涼子の耳には入っていなかった。
「……もういい!」
そう言うと、中で叫んでいたものが戸をあけた。
 そこには、立ち尽くす涼子の姿があった。
「……あ、いや、これは――」
出てきた若者は、涼子に気づくと、慌てて言い訳をしようとした。だが、上手く思いつかなかったのか、結局黙り込んでしまった。
 涼子は何も言わなかった。ただ下を向いて、自分の頼りない足を見つめていた。
「村の者を広場に集めなさい。……いずれ話さねばならぬことだ」
 村長は若者に指示を出すと、涼子の肩に手を置いた。
「……あ、あの……これ」
涼子は林に頼まれた物を渡すと、そこから立ち去ろうと足を引いた。
 しかし、
「待ちなさい」
村長の声が耳に入ると、どうすることも出来ずに、その場に座り込んだ。
「お前さんにも、関係のある話だ」