桃太郎
第四話「バナナはおやつに入りますか?」―後―
その日の晩、村の広場に大勢の人が集まった。
広場の周りにはかがり火が焚かれ、中央には焚き火がある。それを中心に、村長や村の大人たち、それに涼子や林が輪になって座っている。
「…………さて」
村長が重い口を開くと、広場は、しん、と静まり返った。薪の燃えるかすかな音だけが聞こえる。
「この村に、桃太郎が来たことは、皆、よく覚えておるだろう」
村長は既に七十を過ぎた高齢だが、その声には、皆を押し黙らせるような迫力があった。
「三年前だったか……。涼子と同じように桃に乗って来た桃太郎は、しばらく林の家に居座っていた。だが、ある日、あやつは急にこう言ったのだ。『この村からずっと行ったところには鬼ヶ島と言う島がある。そこの鬼共は、人を襲って財産を奪うことを楽しんでいる。だから俺は、そこに鬼退治に行こうと思う』、とな。
わしらの村は鬼に襲われたことなど無かったのだが、一度言い出したら誰にも止められぬような小僧だった……」
その後、桃太郎は村人にあれこれ命じては、鬼退治の準備をさせた。だが、自分は林の家で怠惰な生活を送るばかりで、決して自分から準備をしようとはしなかった。
それどころか、村人の家に押しかけては、資金集めを口実に、金になりそうなものを巻き上げていったそうだ。
村人達の不満は次第に高まり、ついに二年前、桃太郎は村を追放された。
それだけではなく、桃太郎をかくまっていた林は、誰からも相手にされなくなった。
「待って!どうして林までそんな扱いを受けなきゃいけないんですか?いくらかくまっていたとは言え、そんなこと――」
涼子は声を荒げ、村長に詰め寄った。だが、
「私が、桃太郎のことをかばっていたからだよ」
答えたのは林だった。
「私が桃太郎の追放が決まった後も、そんなのはおかしいといつまでも言っていたから……。それだけじゃない。みんなにばれないように、彼を家においといたから」
「何で、そんな奴を……」
林は眼を背け、呟いた。
「……私にだって、分からないさ。ただ――」
「ただ?」
「あいつは、私に名前をくれたんだよ。涼子が付けてくれたのと、同じ名前を」
涼子は目を見開いた。自分以外にもそんな人がいただけなら、そこまで驚かなかったかもしれない。だが、それが全く同じ名前を付けたとなると、話は別だ。
「だから私は、お前が来たとき、一瞬、あいつが帰ってきたのかと思ったんだ。それぐらい、似ていたから――」
林の言葉は、それ以上は続かなかった。そして涼子も、それ以上の追求はしなかった。いや、正確には、出来なかったと言うべきか。
「あやつの話はその辺にしておきなさい。この村では、それこそ禁忌とも言える話だ。必要が無ければ、誰もあやつの名は出さん。……そろそろ、我慢の限界のようだ」
村長の言葉通り、村人達は今にも怒鳴りだしそうな、そんな表情をしていた。
「話を本題に戻そう」
村長は、再び涼子を見つめると、言い切った。
「鬼退治に行ってほしい」
「は?」
何故そうなるんだ。涼子には訳が分からなかった。
「どうしてですか?桃太郎を倒しに行けって言うのならまだ分かりますけど、どうして鬼退治なんですか。そもそも、ここに鬼は来ないって、今まで言ってたじゃないですか!」
「桃太郎が村を出た後、この村に鬼が来るようになった」
「――え?」
「それこそ、毎日のようにな。だが――」
村長は一度言葉を切ると、大きく息を吐いた。今までは微塵も見せなかった疲れが、そこから一気に出て行ったようだった。今のままの村長の頼みであれば、涼子でも断れそうだった。だが、その後に残ったのは、歳を重ねた者独特の、威圧感であった。
空気が変わった。
涼子はそう感じた。
「しかし、お前さんが来てからは、どういう訳か一度も姿を表さなくなった」
「それで、私なら鬼を倒せると?」
村長は目を閉じた。
涼子は悟った。
絶対に、断れない。
いや、断ったところで、きっと未来は無い。
「それなら私は――」
* * * * *
翌日、涼子は村を出た。
村人達の期待を、その背に受けて。
「これは、村人からの贈り物だ。危なくなったら使いなさい」
そう言って村長から渡された包みが、懐にしまわれていた。
「涼子ちゃん、これ。お弁当なんだけど、もし良かったら食べてちょうだい。こっちは、おやつのバナナ」
「何を言っとる、バナナはお弁当のデザートに決まっておる」
「え、そうなんですか村長?私はずっとおやつだと思っていましたよ」
結局のところ、どちらかは分からなかったが、おばあさんからもらったお弁当とバナナが、腰に付けてある袋の中で揺れていた。
「涼子、私は、お前を待ってるよ。お前が帰ってくるまで、いつまでも。この村で」
林のその言葉が、涼子の胸の中を温めていた。
目指す鬼ヶ島は、まだ遥か遠くだった。