桃太郎

第九話「卵」―3―


 その日の夜、オレは老人の声を聞いた。
 しわがれたその声は、寝ているオレの横で、ずっと鳴っている。

 「ぎゅいー」

 ああ、なんて醜い老婆のような声なんだ……。しかも、何か硬いもので頭をつつかれている。
 ……つつく?――まさか!
「まさか、あの鳥なのか……?」
起き上がると、オレの隣にいたのは老婆ではなく、あの醜い鳥だった。……そうか、あれはこいつの鳴き声か。
「ぎゅいー」
 そういえば、こいつに名前を付けてやらないといけないな。弟も、拾ったやつとか孵化させたやつとかに名前を付けていた。こんな醜い鳥でも、一応は一つの命だしな。
「よし!」
「ぎゅい?」
こいつの名前は、もうこれしかないだろ。
「お前の名前は、“ばあどん”だ!」
「ぎゅいー……」
 ばあさんみたいな声の鳥。ばあどんも、この名前を気に入ってくれたみたいだ。それにしても、我ながら良いセンスだ。


 あー、よく寝た。
「おはよう、ばあどん」
「ぎゅいー」
 ……何だよコレ。
「増えてる、のか……?」
 背中に生えている、黄色いにょろんとしたモノ……。それが昨日より、一本多くなっている。
 しかもそれには、わざわざ一本一本、蛇のような顔が付いていた。


「何なのよ、もう!」
 昨日降った雨の所為で、道はかなり悪くなっている。食料も減ってきたからか、涼子の機嫌も相当悪くなってきていた。今は絶対、アイツと並んで歩きたくない。
「触らぬ神に崇りなし、って、まさにこの事よね」
芝田が小声で呟いた。こいつにしては、難しい言葉知ってるんだな。
 ……と、涼子が荒んだ目でこちらを振り向いた。まさか、聞こえたのか?オレは何も言ってないぞ!
「竹田……やっぱりそいつ、食べてしまいましょう」
「何言ってんだ涼子!せっかく育てたのに……ばあどんは絶対に食わせないからな!」
オイ待て、何でオレはこんな心にもない事を言ってるんだ?どうしたんだ、オレ。
「大体ねえ、そいつの所為で食料の消費がかなり早くなってんのよ!」
「良いだろう、育ち盛りなんだから!」
「早く捨ててきなさい!このままじゃ私達、飢え死によ!」
「嫌だ」
「竹田!」
「絶対嫌だ!」
 こら足、勝手に動くな。こんなやつ抱いて走ることないだろ。ましてやあの状態の涼子に逆らうなんて……。何でこんなに体がいう事を利かないんだ。
 懐の中のばあどんと目が合った。刹那、ばあどんの嫌らしい目が、さらに嫌らしく歪む。
「何なんだよお前はー!」
 ……返事がない。それに何だか、ばあどんの感触が変わったような気が――。
「まさか」
 もう一度懐に目を落としてみた。すると、
「ばあどん!」
ばあどんは、サナギになっていた。

「うわっ」
石につまずいて、オレは顔からぬかるんだ地面に突っ伏した。その衝撃で、ばあどんは、ようやくオレの腕の中から離れた。
「…………」


 こんな事が、前にもあったような気がする。
 あれは確か、弟が死んだ日のことだったか。雨上がりの庭で、泥だらけのオレが見ていたのは……

 たくさんの、犬の死骸だった。

 ……そうだ、あのときオレは、弟が拾ってきた犬を、殺したんだ。
 弟を殺したやつが、憎くて、許せなくて。おもむろに、拳を振り下ろした。
 抵抗出来ずに血を流す犬。その血の臭いに、オレは酔いしれた。そして、気が付いた時には――
 家にいた犬を、全て殺していた。
 オレが殺したんだ。この手で。


 今のばあどんはサナギだ。あの時の犬よりも弱い、抗いたくても抗えない、無力な命……。
「こんな奴……!」
 殺してやる。しかしそれを口に出すことは敵わなかった。
 頭を締め付ける金色の輪。それが光を帯びた途端、激しい頭痛と眩暈が、オレを襲った。
『殺さないで……!』
「誰だっ!」
どこかで聞いたことのある声だった。少し高めの、あどけなさの残る少年の声……。純粋で、オレとは全く違っていたあいつの……。
 その声は、サナギから聞こえていた。
「お前……」
 信じられなかった。さっきまで殺そうとしていた相手から、弟の声がするのだ。いつの間にか頭痛も治り、ばあどんも、何も喋らなくなっていた。