休日、妹の荷物持ちをした。
貴重な休日を、どうして真樹なんかの為に費やしているのか、僕にも分からない。だが、
「お兄ちゃん、今日オフなんでしょ?買い物行くから付き合って」
と、強引に布団から引きずり出された僕に対して、真樹は全く悪びれた素振りを見せない。
電車に揺られて三十分。降車した駅から外に出ると、十二月の冷たい外気が頭を目覚めさせる。五分ほど歩くと、馴染みのデパートに着く。その短い距離が、今日は苦痛だった。ああ、布団の中に戻りたい。一歩踏み出す度に、靴の隙間から風が入ってくるようだ。たまらず不満を口にすると、通気性の良いスニーカーなんて履いているからだと真樹に返された。しかしこれしか持っていないのだから仕方ない。
棒のように強張った足を無理矢理動かして、目的のデパートへ向かった。
「お兄ちゃん、次はあっちのお店行くから」
真樹は元気だ。僕を振り回すかのように、次から次へとデパート内の店を移動していく。とは言っても、ほとんどがウインドウショッピングだ。買い物に行くといった割には、僕はまだ荷物を持たされていない。
「真樹、これなら荷物持ちなんていらないんじゃないか?」
スタスタ歩く真樹の背中に声をかけると、
「良いからついてきて」
偉そうに言われた。
僕は疑問符を浮かべたまま、真樹の後を一歩後れて歩いていく。
会話がないので、僕は何となく、デパートの装飾に目をやった。
クリスマス間近のデパートはきらびやかで、クリスマスツリーがあちこちに飾られている。ジングルベルのBGM。向こうでは、サンタの格好をしたおじいさんが、子供達に風船を配っている。そんな風景に、思わず心が和んだ。
しかし一方で、目に飛び込んでくる文字は、「クリスマスプレゼントに!ペアマグカップ四八〇円」や、「クリスマスは家族でゲーム!各種ソフト二千円均一!」といった、現世の欲望渦巻く生々しいものだった。キリスト教徒の目には、一体どう見えているのだろう。きっとかなりの変わり者に見られるか、ともすれば怒られるかもしれない。
「お兄ちゃん、予約しておいた物もらってくるから、ちょっと待ってて」
真樹はファンシーショップの前で僕にそう言い残すと、楽しそうな足取りで店へ入っていく。
……嫌な予感がする。真樹があんな浮かれた素振りを見せる時は、大抵僕が損な役回りを演じる羽目になる。一六年間の短い経験が警報を鳴らす。
真樹が店から大きな荷物を抱えて戻ってきた時、その予感は見事に的中した。逃げるべきだったと、しばらく後悔した。
昼下がり。デパート内の広場。ベンチに座ってぼんやりしていると、噴水がアーチを描いた。季節外れの水の冷たさに、子供達が歓声を上げている。
それに気を取られて最初は気付かなかった。広場に置かれた一際大きなクリスマスツリーの下。そこに、小さな屋台があった。
それは、どこか異国情緒の漂う屋台だった。明らかに日本のものとは違う。気になるが、真樹に荷物番を頼まれたので、この場から離れるわけにもいかない。僕の横に鎮座まします巨大なくまのぬいぐるみ。抱きまくらにでも出来そうなサイズのそれを、一人で持って歩く度胸はない。真樹は付近の店を物色中だ。
戻ってきたら、一緒に見に行ってみようか。そう考えて屋台を眺めていると、店員らしき男性が一人、こちらに向かってきた。……まさか不審者だと思われたのか。急いでその男性から目をそらすと、
「君、キャンドル買わないかい?」
いつの間にここまで移動したのか、目をそらした先にその人は立っていた。
近くで見ると、男性の背の高さが否応なしに感じられた。一九〇センチは確実にあるだろう。悔しいが、僕が隣に並んだらかなり小さく見られそうだ。
「キャンドル買わないかい?」
同じ言葉を、男性は繰り返した。そして僕の隣、くまを置いていない側に腰掛ける。
見れば見るほど、不思議な人だった。屋台から漂っていた異国の雰囲気は、なるほど、この人から発せられたものかもしれない。アジア風とも欧風とも言えそうな顔立ち。端整な居住まいからは、気品すら感じられる。見たことのない翠色の髪を後ろで結わえ、少し長めの前髪は、うっとうしくない程度に目にかかっている。僕は世界史で習ったルネサンス期の絵画を思い出した。そう、ラファエロの描いた聖母のような柔らかな物腰だった。
「キャンドル誰も買ってくれなくて困ってるんだ。君は買ってくれるよね?」
何か押し売りみたいになってきたな。さっきから男性は、しきりにキャンドルを勧めてくる。しかも笑顔で。
「キャンドルを買うのは構いませんが、どうして僕だけに勧めるんです?お店留守にして、大丈夫ですか?」
真樹だったら、もっと上手く対応できるのだろうが、まだ店から帰ってくる気配は無い。
「店?どうせ誰も来ないから大丈夫だよー」
「そうなんですか……」
「よし。君がそんなに心配してくれるなら、ここで店をやることにしよう」
言葉の真意を測りかねていると、男性はズボンのポケットから小さなリモコンを取り出した。そして屋台に向かってボタンを押す。
すると屋台は、ガシャガシャと音を立ててやって来た。正確には、屋台の下に取り付けられていたタイヤが動いて、売り物を危ういバランスで保ちながら、男性のいる場所まで来た。無駄にハイテクな屋台だ。
「これで大丈夫。ほらほら、遠慮しないで見てってよ」
呆れて物も言えない。観念して売り物を見ることにした。荷物は視界に入っていれば問題ないだろう。
小さな屋台に並べられた、小さなキャンドルは、予想していたよりも精密な芸術品だった。……高価だったらどうしよう。
赤や緑のクリスマスカラーは勿論、様々な色が揃っていた。形も普通のろうそく型から動物の形まで、バラエティに富んでいる。
「これ……」
ト音記号の形をした淡い緑のキャンドルを、僕は手に取った。
「それ、結構作るの大変だったんだよー」
すぐ横から男性が口を挟む。
「大変だった…って、じゃあこれ高いですよね」
真樹に買ってやろうとは思ったが、あまり高かったら他のにしよう。
「でも、今回はサービスして、安くしてあげるよ。君の大切な人にプレゼントしてあげて」
男性は、聖母のような笑顔でそう言った。初めて、この人の笑顔を素直に受け取れた。
値段を聞くと、男性が指定した金額はタダ同然で、僕は耳を疑った。
「本当に、こんなに安くて良いんですか?」
「良いって良いって。私は私の作ったキャンドルを買った人が幸せになってくれさえすれば、満足だから」
手をひらひらさせて答える男性は、僕から小銭を受け取ると、リモコンの入っていない方のポケットにしまった。
「本当に有難う御座いました。おかげで良いクリスマスプレゼントが手に入りました」
「それは良かった。ラッピングするからちょっと待ってね」
ト音記号は、ギンガムチェックの可愛らしい小袋に包まれる。最後に緑色のリボンを結んで完成だ。ここまで、流れるような動作だった。
「はい、出来た。どうぞー」
「有難う御座います。……あの、もし宜しければ、お名前を教えて頂けませんか?妹にも教えたいので」
すると男性は、腕を組んで少し考え、
「私のことは、『クリスマスお兄さん』とでも呼んでくれれば良いよ。――成瀬靖都君」
冗談のような、そんな言葉。……待て、何で僕の名前を知っているんだ?
「お兄ちゃーん!お待たせー」
「真樹!そうだ、真樹も一緒に――」
クリスマスお兄さんの屋台を見よう。そう言いかけてお兄さんの方を振り向くと、
「あれ………」
泡沫のように、お兄さんも屋台も、姿を消していた。
「どうしたの、お兄ちゃん」
「いや、なんでもない」
あれは夢だったのか。しかし手の中には、確かにキャンドルの小袋がある。
全く、どこまでも不思議な人だった。
「で、今度は何を買ってきたんだ?」
「お兄ちゃんへのクリスマスプレゼント」
「僕も真樹に買ったんだ、プレゼント」
他愛も無い会話をしながら、デパートを出る。まだ夕方のはずなのに日はすっかり暮れていた。駅までの道のりは、イルミネーションが輝いていて、まるで万華鏡の中にでも入ったみたいだ。
「ねえお兄ちゃん。まだ寒い?」
「何が」
「靴。行きに隙間風が寒いって言ってたやつ」
「……すっかり忘れてた。何か言われたら寒くなってきた……」
真樹は歩調を緩め、僕の隣を歩きながら、
「じゃあ、ちょっと早いけど。メリークリスマス」
デパートの袋を差し出す。僕がそれを受け取るのと引き換えに、巨大なくまを僕の腕の中から抜き取っていく。そしてそのまま、駅の方へ走っていった。
取り残された僕は、歩道の脇に逸れ、袋を開けた。その中身を見て、僕は笑みを隠せなかった。
「真樹のやつ……」
暖かそうな男物の黒いブーツ。丈は短いが、中はボアが付いていて、履き心地は良さそうだった。クリスマスお兄さんと話している時、真樹はこれを探していたのだろう。
明日から、これを履いて学校に行こう。
笑みがこぼれるのを押さえるように、僕は上を向いて、思い切り息を吸う。冷たい空気が肺の中に一気に入ってきて、少し咳き込んだ。
気を取り直してもう一度空を見上げると、綺麗な星空を遮るように、数本の電線が目に入った。いつもなら邪魔だと思うであろうそれも、地上の星空には欠かせない。だから今日は、それくらいの自己主張は許してやろう。
珍しくそんなことを思いながら、僕は駅まで走る。改札の前で手を振る真樹を見ながら、あのキャンドルを渡すタイミングを考えてみた。