気まぐれで外出した。スケッチブックを持って。
別に何かを描こうと思った訳ではないけど。ただ何となく、今日はいつもと違う何かに出会える気がした。
最後に絵を描いたのは、学校の写生大会だ。俺は面倒なので、テキトーに信号機を描いて提出したのだが、何故か入賞してしまった。本当は、他のヤツらが受賞するべきだったのに。その所為で、今でも美術部の勧誘が後を絶たない。
題材になりそうなものを探して歩いていると、一軒のコンビニが目に留まった。日本全国にある、オレンジ色と赤と緑のラインのチェーン店。クリスマス間近だからか、店先には小さなクリスマスツリーが置いてある。きっとあと三日ほど経てば、門松にでも変わるだろう。冷たい風が吹いてきたので、とりあえず中に入ることにした。
コンビニに入ると、俺はいつもデザートの棚へ向かう。最近は「スイーツ男子」という言葉があるようで、男の俺がこうしてデザートを眺めていても不審な目で見られることはなくなった。甘党には嬉しい限りだ。本当は、成瀬の母ちゃんが作ったケーキの方が好きだけど、小遣いが足りない。まあ、買わなくても今度成瀬が持ってきてくれるだろう。今日は百円台のプリンで我慢してやる。
思ったよりひんやりした手触りに一瞬顔をしかめ、レジへプリンを持っていく。
「いらっしゃいませ」
と、型どおりのマニュアル挨拶が返ってきた。全く心がこもっていない。
「あれ、速水君?」
しかしその店員は、どこの店のマニュアルにも載っていないであろう、俺の名前を口にした。
「しかもスケッチブック持ってる!やっと美術部に入る気になったんだね!」
シカトしてやり過ごすつもりが、どうやらそうもいかなくなった。よりにもよって店員は、しつこい美術部員の一人だった。
「ただの気まぐれ!それよりお金、いくら?」
「ああ、ごめん!えっと、一〇五円になります」
財布の中から銀色の硬貨と穴の開いた硬貨を出そうとして、後者はなかったので代わりに銅貨を一枚。
「百十円からお預かりします」
「から」って何だよ、と、いつも思う。誰か教えてやれ。その敬語は正しくない、ってさ。
「五円のお返しです。このままで宜しいですか?」
頷くと、オレンジ色のテープが貼られた俺のプリンが返ってきた。透明なスプーンと一緒に。
「ありがとうございましたー!」
美術部員の元気な声を背に、店を出た。
びゅう、という木枯らしの音。確かにこの風じゃあ、木も枯れるよな。文字通りだが。
プリンとスケッチブックを手に、町の中をぶらぶらした。すれ違うヤツは皆、クリスマスムードを漂わせている。否、皆浮き足立っているだけだ。クリスマスに大晦日、それに正月。これだけイベントが続くこの時期は、まあ、無理もない。
かく言う俺も今、相当浮き足立ったのだから。
それは小さな、ハリボテの小屋だった。
店と店の間の路地にひっそりと。俺もどうして気付けたのか、不思議でならないが。
そのハリボテには、蝋燭が沢山並んでいた。あれは蜜蝋で作ったものだろうか、小さな黄色い蝋燭に火が灯されていた。
「君、キャンドル買わないかい?」
ああ、今はキャンドルと呼ぶのか。洒落た言い方だな。
そんなことより、やはりこれは店なのか。キャンドルを買わないかと、店主らしき男が言っていた。余談ではあるが、俺は最初、その店主が女だと思っていた。それでも男だと認識できたのは、ひとえにその低い声のおかげである。
とりあえず、行く当ても無かったのでその店をひやかすことにした。金は無い。さっきプリンを買ったから。
「見ていくだけでも良いですか?今月はもう金欠で……」
「良いよ良いよー。あ、でも気に入ったのがあったら言ってね。ツケといてあげる」
営業スマイルが眩しい。スマイル0円でこの人に勝てるヤツは、なかなかいないだろう。
それにしても、見事なキャンドルだった。まさかこの店主が作ったのか。製作している場面を想像してみると、意外なほどにしっくりきた。きっと暖炉に火をくべたヨーロッパの工房で作ったのだろうと、勝手な妄想は膨らむ。
「これなんかおススメなんだけど、どうかな?」
店主に話しかけられて、俺は現実世界に戻る。
「何の形ですか?普通の蝋燭にしか見えないんですけど」
「うん。今はただのキャンドルだよ」
店主が差し出したのは、縦に長い円柱形のキャンドルだった。色は淡い青。特に変わったところは無い。
「ブロッサミング・キャンドルって言ってね、火を点けると面白い事が起こるよ。まあ、点火から二十時間ぐらい待たないといけないけど」
ブロッサミング・キャンドル。初めて聞く名前だ。しかし面白い事は好きだ。この店主、俺の好みをよく分かっている。
気になって値段を見ると、かなりの高額だった。駄目だ。きっぱり諦めよう。
「気になりますけど、金が無いんで……」
店主は予想通り、残念そうな表情をした。少し心が痛んだが、仕方ない。そう割り切って、店主に背を向ける。
「じゃあ、そのプリンと交換で良いからー!」
客を見送るには明らかに異質な言葉に、俺は耳を疑った。しかしもっと驚いたのは、
「一〇五円のこのプリンと、そのキャンドルをっすか?」
「そうそう。私プリンは大好物なんだ」
色んな意味でありえないだろこの店主。値打ちが違いすぎる。店の利益にはこれっぽっちもならないだろうに。
「価値観は人それぞれだからね。それに私は、君がこのキャンドルで幸せな気分になってくれれば満足だよ」
この人は俺の心が読めるのか?でも、おかげで後ろめたい気持ちは無くなった。
キャンドルの入った紙袋をもらい、プリンを手渡す。手の温度で少しプリンはぬるくなっていたけど、外で冷え切った手には丁度良いだろう。
「家に帰ったら、早速点けてみます。有難う御座いました」
「どういたしまして、速水晶君」
「え、俺、名乗りましたっけ。どうして……」
やっぱり俺の名前は、店のマニュアルにでも載っているのか?
「それは私が、クリスマスお兄さんだからだよ」
店主は綺麗に微笑んだ。
不思議な店主――クリスマスお兄さんと別れた後に気が付いた。絵を、描かせてもらうべきだった。あの人は最高の題材だったのに。
今更嘆いてもどうしようもないので、真っ直ぐ家へ向かう。代わりにキャンドルの絵でも描こうと思ったからだ。
それにしても、ブロッサミングってどういう意味だ?帰ったら辞書で調べてみよう。綴りは分からないが、真樹ちゃんに聞けば分かるだろう。恐らく英語だろうが、俺も成瀬も英語には疎い。逆に成瀬の妹の真樹ちゃんの得意教科は英語だ。つまりは中学生に教えてもらう事になるのだが、全く悔しくはない。情けないけど。
帰宅すると、兄貴が居間で寝そべっていた。今日は自宅警備員に徹していたこの兄貴は、俺より四つ年上で、れっきとした社会人だ。一応は。
「晶ー、土産は?」
「そんなものはない!」
「じゃあその紙袋、何が入ってんだよ」
兄貴は手を出して、紙袋を渡すようにせがんできた。面倒なので大人しく渡すと、兄貴は意外と丁寧に袋の中身を扱った。
「うわっ、これお前、どこで手に入れたんだよ!」
「屋台みたいなところで、プリンと交換した」
「ふーん」
駄目だ、兄貴は他人の話も聞かないでキャンドルに夢中になっている。
「これブロッサミング・キャンドルだろー?良くこんな珍しいの手に入れてきたな。流石は我が弟!」
「え、兄貴知ってんのかよ」
「輸入雑貨好きをなめるな」
すっかり忘れていた。兄貴は無類の輸入雑貨オタクで、高校卒業後は近くの雑貨店に頼み込んで雇ってもらっている。今日はその雑貨屋が休みの為、自宅警備にいそしんでいた。
「兄貴、ブロッサミングってどういう意味?」
「お前高校生だろー、それぐらい知っとけ」
「そうか、兄貴も知らないのか」
「知ってるに決まってんだろ!良いか、ブロッサミング・キャンドルってのは、花咲くキャンドルのことだ!覚えておけ!」
妙に力説する兄貴は来年二十一歳。現在彼女いない暦、二十年とちょっと。
「晶、これ、俺に譲れ」
「断る」
兄貴からキャンドルを奪い取り、自室へ行こうとして、
「それ、クリスマス当日までとっとけよ」
「何でだよ」
「クリスマスキャンドルはクリスマスに点けるべきだろ!俺がそれまで預かってやる」
あまりの剣幕に居間へ戻ると、
「どうせなら、親父やお袋にも見せたいだろ」
まともな事を言われたので観念した。
キャンドルを渡すと、兄貴はそれを、居間の目に付く場所に置いた。
「ここなら良いだろ」
壁にかかった絵の側の棚だった。
その絵には、どこぞの学校の校庭から生えた巨大なクリスマスツリーが描いてある。現実味は全く無い。大体、校庭からツリーが生える時点で、破綻している。恥ずかしいことだが、ガキの頃に、俺が描いた。俺は一体、何を考えてこの絵を描いたんだっけ。きっと何も考えてなかった。単に、皆と一緒が嫌だっただけだろう。
――でも、すげー前向きだな。
心の中で思う。屁理屈で武装して強がっている今の俺は、昔の俺から見たら、さぞかし滑稽に見えるだろう。
「あー、この頃の晶は素直で可愛かったのに」
「悪かったな」
兄貴に軽口を叩きながら、キャンドルを見る。このキャンドルは、どんな花を咲かせるのだろう。クリスマスが、少しだけ待ち遠しくなった。
その時には、あの頃みたいな真っ直ぐな線で、キャンドルの絵を描いてみよう。