紡ぎ詩

六.「そして僕は、奇跡という名の時を見る」(2)


 キャンドルに灯りが燈る。クリスマスお兄さんがツリーの下に置いたキャンドルだ。他の生徒達も真似をして、その周りにキャンドルを置いていく。
 学校の時計を見上げると、時刻は午後四時。日は既に傾いている。よくこんな時間までずっと外にいたものだ。
 しかし奇妙な事に、誰一人として寒さを訴えなかった。厳しい天候を忘れるほどに、みんな楽しんでいたのだ。
 まるでそれは、昔に置いてきてしまった子供心を取り戻すように。目にするもの一つ一つに驚きと興奮を隠せなかった、あの頃のように。
「絶景だね」
このイベントの仕掛け人は、そういって目を細める。ほのかにキャンドルに照らされたお兄さんの姿は、どんな名画よりも画になっていた。遠くから、美術部の人たちがスケッチするのも頷ける。
 クリスマスツリーを囲む、小さな炎の粒。上手く表現することは出来ないけど、それは、そう。例えば海面に反射する光みたいだ。
「おかげで良いクリスマスマーケットになりました。ご協力、有難う御座いました」
丁寧に謝辞を述べる会長に、クリスマスお兄さんは小さな紙袋を差し出す。それは、僕がもらったのと同じ、ギンガムチェックの袋だった。
「お礼を言うのは私の方だよ。こんなに沢山の人に私のキャンドルを渡せたんだから」
会長は困惑気味に、袋を受け取った。自分が報酬をもらっても良いのか、と聞きたそうな表情だった。
「気にしないで。私のキャンドルで、君が幸せになってくれると嬉しいな」
「そうか……。では、遠慮なく」
はにかみながら答えた会長に心臓が脈打ったのは、気のせいだと思う。


「じゃあ、私はそろそろ引き上げようかな」
 クリスマスお兄さんが言った時には、日はすっかり暮れていた。まだ燃えているキャンドルが力強く見える。ほとんどの生徒は下校して、校庭に残っているのは僕と速水と会長、そしてお兄さんだけだった。
「手伝いましょうか」
僕が申し出ると、お兄さんはやんわりと断った。仲間を呼んだから大丈夫なのだそうだ。
「その代わり、あれ、もらっていっても良い?」
少し恥ずかしそうにお兄さんが指したのは、ツリーに飾られたオーナメントだった。
「あんなもので良いんですか?」
昨日即席で作ったオーナメントに、一体どれほどの価値があるのかは分からないけれど、
「価値観は人それぞれなんだよ」
速水は僕にそう言った。クリスマスお兄さんの受け売りらしい。
「あ、仲間が来たみたいだ。……驚かせたらごめんね」
 クリスマスお兄さんは意味深に前置きすると、一度だけ指を鳴らした。
 ――僕は、雪が降ってきたのかと思った。
 キラキラと輝く白い光に触れた途端、屋台は消えた。さっきまであったツリーも、弾けるようにどこかへと消えてしまった。
 ツリーがあった場所に残されたのは、僕達が作ったオーナメントと、キャンドルだけだった。
「あなたは、一体……」
思わず口をついて出た言葉に、お兄さんは人差し指を口にあて、ウインクをする。静かに、ということらしい。
 やがて白い光が消え去ると、
「私はクリスマスの幻影なんだよ」
お兄さんは、少し哀しそうに言う。わけが分からない。速水も会長も、きょとんとした表情をしている。
「私がここにいられるのは、毎年クリスマスまでの一週間だけ。そろそろ帰らないと」
「……えっと、つまりはサンタさんってこと?」
緊張感のない声は速水だ。その声が場を和ませる為のものだと、僕は悟った。
「まあ、分かりやすくいうならそんな感じかも。あんまり詳しく知られると偉い人に怒られるから、そういうことにしといてね」
 お兄さんの身体は暗闇の中でも、キャンドルのように淡く光っていた。
「また、会えますよね?」
僕はそう尋ねずにはいられなかった。お兄さんが、キャンドルが燃え尽きるように消えてしまいそうだったから。
「大丈夫。君達には、私が渡したキャンドルがあるから。おかげで君達が優しい人だって分かったから、来年もまた来るよ」
「どういうことですか?」
「私はキャンドルを渡した相手の心が分かるんだよ。君達が一年間良い子にしていたら、来年もキャンドルを持ってくるよ」
「本当にサンタさんみたいですね」
それは、会長なりの気の利いた台詞だったのだろう。さっきの速水の台詞と被ってるような気がしなくもないけど。
「そうだよ。私は、クリスマスお兄さんだからね」
 オーナメントと共に、お兄さんは消えた。
「メリークリスマス」
 一日早く、その言葉を残して。


 次の日。クリスマスの夜。
 ささやかながら、家でクリスマスパーティをした。
 母の作ったケーキと、家族の談笑。それだけでも、充分楽しめた。でも、今日はもう一つお楽しみがある。
「真樹、これ、僕からのクリスマスプレゼント」
「有難う、お兄ちゃん」
真樹が袋を開けているその時、僕の携帯が鳴った。メールなら無視しようかと思ったが、残念ながら着信音が電話用のそれだ。
 リビングを出て、少し肌寒い廊下で電話を取る。
「なあ成瀬すげーんだよこれ!蝋燭――じゃなかった、キャンドルって、今すげーんだな!」
速水はやけにハイテンションだった。それとは逆に、返ってぼくは冷静になった。
「どうしたんだよ速水。状況が全く伝わらない」
「あーそうだった。クリスマスお兄さんにもらったキャンドルすげーな!兄貴なんて興奮してガキみたいな反応してたぜ」
「……速水、とりあえずあとで写真送って。僕も見たい」
「よし分かった!後で送る!じゃあ、また明日な!」
「うん。メリークリスマス」
「メリークリスマス!」
 唐突に、電話は切れた。全く、速水らしい。
 リビングに戻ると、真樹がト音記号のキャンドルを手に、
「お兄ちゃんにしては良いセンスじゃない」
偉そうにそんなことを言う。
「そうそう、速水が言ってたよ。真樹はセンスが良いって」
「あ、ブーツのこと?さすが速水君、ちゃんと見てくれたのね」
 真樹はキャンドルを持ち、自分の部屋に行こうとして、
「そうだ、お兄ちゃん。チューバの譜面ってヘ音記号なのよ」
すれ違い様にそんな辛辣な一言。僕が困惑して真樹の出て行ったほうを振り向くと、
「これ、ありがとね。おやすみー」
……完全に遊ばれた。いつになったら僕は真樹に勝てるのだろうか。
 でも、お礼だけは素直に受け取っておこうか。


 就寝前、速水からメールが届いた。本文は、まあ読まなくても良いだろう。大方見当が付く。
 添付されたのは、写真と絵だった。まず、写真の方を表示する。
「……すごいな」
速水が興奮するのも頷けた。
 花が開いたように、外側に身をそらす蝋。透明がかったそれはガラスの花のように繊細に見えて、それでいて温かみがあった。
 次に、絵のデータを開く。
「全く、速水らしいよ」
迷いのない線で描かれた素直な絵。心なしか、写生大会より上達したように見える。
 クリスマスお兄さんからの贈り物は、ブロッサミング・キャンドル、と言うそうだ。少し羨ましい。
 だけど、そうだな。もしクリスマスお兄さんに会えたら。
 来年会ったら、ヘ音記号のキャンドルを買おう。